インフルエンサーの信者ビジネスにかかっていたんだな【ノブレス・オブリージュの大切さ】

去年まで

いまでいうオンラインサロンのようなものに

所属していたのですが

あれって

インフルエンサーの信者ビジネス」

だったのかあ、と最近知るにいたりました。

 

去年まで、といっても

おととしあたりから

もうやる気がそこまでなくなっていたのと

他会員の人とのトラブルをきっかけに

もうやめていたのですが。

 

 

最近ふと所属していたそこの情報が

ネット上で上がっていて

解説している人もいたので見てみたところ

「あーたしかに」

と思うことがたくさんあり。

 

やめたからこそ見えてくるものがある。

 

自分の場合は

前職辞めて鬱まっさかりで

どうにか鬱を治したいと思っていたときに

良いコンテンツがそこにあったので

会員になったのですが。

 

そこで学んだことがきっかけで鬱が治ったのは事実だし

色々学びが広がったのはたしかなので

何とも言えないのですが。

 

ただそこにずっと所属しているのは

どこか苦しいなあという自分の体感があったり

オフラインで会って仲良くなった他会員の人の

人を見下したりとか

弱者を切り捨てていくのを良しとする風潮とか

選民思想っぽい雰囲気とか

キラキラした自分の姿だけ前面に見せる感じとか

 

色々「うわぁ……」と思うことが増えていったので

辞め。

 

ただそこに染まっていたときの自分ももしかしたら

そんな感じだったのかなあ、と思ったり。

 

自分の場合は

セラピーを受けてトラウマから解放されていたのと

いまの職場の人たちの優しさとか

その人たちの幸せの在り方を知って

「あれ、なんか違うんじゃない?」と新しい価値観を

インストールしていた最中だったので

過去と新しい価値観が拮抗しながら

人間観トラブルに後押しされ辞めました。

 

 

最初に会員になった頃は

そこも発展途上中という感じで

インフルエンサーにあたる人も

一緒に勉強していくという感覚があっておもしろかったのですが

 

だんだん発展して会員が増えていくにつれて

だんだん教祖と信者っぽい感じとか

高圧的な態度に拍車がかかっていったり

 

もう幽霊部員になっていた頃から

マウント的な情報発信も増えていったり

 

独自のプラットフォームができたのも

会費を払ってちょろっとのぞいたのですが

コンテンツもあんまり面白味を感じなくなり。

 

辞めてからふとしたおりに

その人発信の情報を見たとき

「あれ、この人の情報まちがってへん!?」

「あんなに情報をちゃんと調べない人間は情弱と

マウントとっていたのにあの情報見てないのか。

え……私の調べた情報が間違ってるの……?」

「待て待て、論文ですでにあの情報出てるはずなのに

そんなこと言うのか、え? どういうこと???」

「影響力が強い人がその世代の人たちにそれ言ったら絶対アカン!!

まずいやろ!!!

……え、でもこの人がこう断言するってことは……うーん……」

 

と辞めてからもその人発信の

情報の質の高さは信じていたのですが

(そもそも辞めたきっかけも

自分はついていけないな、と思っただけであり)

 

色々違和感を覚えていたところで

あることをきっかけに

そのインフルエンサーの人の言っているコレコレの情報は間違っている

と専門家の人が解説している動画を見て

ついでにそのインフルエンサーの人の

ビジネスの在り方を解説しているのも聞いて

「ああ……なるほど」

と。

 

インフルエンサーの信者ビジネス」

というワードでくくれるんだなあ、と。

 

インフルエンサーの信者ビジネスは

宗教と構造がものすごい似ている。

 

窓口は無料で入りやすくしておいて

入ってからが有料コンテンツ。

 

だいたい独自のプラットホームを用意してあり

そこは外からは見えないようになっている。

外側からの批判が入ってこないから賛同の声ばかりが強くなる。

だからより

「この人はすげー!」

「ここのコンテンツはスゲー!」

となる。

 

達成しやすいように

ハードルの低い目標や行動指針を用意しておく。

 

「これのおかげで自分の人生は前よりもよくなった!」

と思わせておく。

 

けれど絶対自分(教祖)よりも上にいけるような

優良なコンテンツは出さない。

そもそもその優良な情報を出して

大勢の人が知った時点でその情報の価値は下がる。

 

と色々解説を見る。

 

自分も

「あれ……?」

と思ったことがあるのですが。

 

ほぼ幽霊部員のときに

オフラインの集まりに参加したのですが

そのときに会った会員の人たちは

抑鬱傾向の人が多かったんだよなあ、と(^^;)

「なんでか最近&去年よりメンタルが……」と。

 

元々そういう傾向がある人たちだとは思うのですが。

 

 

おそらく会員の中で表に出てこようとする人たちは

がんばっている人たちなんだけれど

いやむしろがんばっているからこそ

 

コンテンツのおかげで

最悪の状態からは良くなった

前の冴えない自分よりはすごくなったから

「ここのコンテンツはすげー!教祖すげー!」

となり信者化が強固になるんだけれども

 

コンテンツを常に見ているから

「もっと成長しなきゃ! 上を目指さなきゃ!」

と自分の本音をねじ伏せてがんばるから

「なんだか最近メンタルが……」

となるんだろうなあ、と。

 

「最近メンタルがおかしいからあのコンテンツで!」

「前はそれでよくなったんだから!」

「よし!よくなったからまた頑張って成長して……」

とループするんじゃないかな、と。

 

 

そういえば

前に先生と話したときに

「自分のことを助けてくれた、救ってくれたからといって

その人が必ず良い人、信じて良い人とは限らない。

あきらかにこの人ヤバいでしょって人でも

自分のことを救ってくれた過去や現状があると

違和感を感じつつも

なかなかこの人ヤバイ人だって気づけないから

ずっと信じてその人の下にいてしまいがち。

ちゃんと自分の体感を信じた方が良い」

という話を聞き。

 

高校生の頃お世話になった恩師からは

「弟子は必ず師匠からは卒業するものなんだよ。

いずれ独り立ちしなきゃいけないときが来る」

という話を聞いて

それを胸にその人とはお別れしたのですが

 

その所属していたオンラインサロンのようなところで

教祖の人は

去っていく会員がいると

「ここのコンテンツは最新で選りすぐりのものを発信し続ける。

わざわざ去っていくのは馬鹿としか思えない」

といったような

ものすごい攻撃的な言動が出ていて。

 

「この人自分が批判されたようで怒っているんだろうなあ」

「そういうトラウマが強いんだろうなあ」

と思いつつも

「弟子はいずれ巣立つものだし

巣立って自分の力で生き始めるのを師はよろこぶべきでは?」

との思いもあり。

 

やっぱりそこが信者ビジネスだったからだろうなあ、と。

そりゃ会員がずっといた方が

自分の金につながるし

自分の承認欲求も満足するよな、と(^^;)

 

 

あのオンラインサロン(?)に所属する人の幾分かには

親へのトラウマがあるんだろうなあ、と勝手に想像しています。

 

高圧的な言動で去ることを許されない

歯向かうこと・反論を許されない

この人に評価されるためにがんばらなきゃいけない

系統の親子間のトラウマを抱えているから

 

その親像をあの教祖の人に投影して

所属し続ける・がんばり続けているんだろうなあ、と。

 

だから親を投影しているあの人から

「こういうことをする人間は馬鹿としか思えない」

普通だったら

「お前にそんなこと言われる筋合いないわ!ボケェ!!

こっちからてめえのとこなんざ去ってやるわ!!!」

と思うようなことを言われても

「ああ、どうしよう。自分も見捨てられないようにがんばらなきゃ」

「私もあんな風に怒られたらどうしよう!!!」

「私はあなたの言うことをちゃんとこなす良い子ですよ!」

「この人に評価されるためにがんばらなきゃ」

となってしまうんだろうな、と。

 

そんな妄想。

というか

自分がそんな感じだったからなあ、と。

 

 

どこかでまだあの人はすごい特別な人だ

という意識が拭えていなかったのですが

インフルエンサーの信者ビジネス」

という言葉で括られたのを見て

「あ……あの人もただのインフルエンサーの一人だったんだ」

と認識が変わる。

 

いや、十分インフルエンサーになれることも

ビジネスで稼げるのもすごいことなんですけども。

 

どこか特別視していた。

というところが洗脳というかミソだったんだなあ、と。

 

 

自分が信じてきたものが崩れるというのは

おもしろい瞬間

と同時になんともいえない感覚。

 

 

高校の頃の恩師との出会いがなかったら

もしかしたらあそこに所属し続けていたのかもなあ

との思い。

そもそもその前にもっと暗い人生送っていたり

いま存在していないなんて事態になっていたかもしれませんが。

 

スゴイ人は5年とか10年先にも芽吹く言葉を残してくれるんだな

と同時に守られたなあ、と。

先生の大きな包み込むような愛に守られたんだなあ、と。

 

あの時の師弟関係があったから

いまの自分がいるんだなあ、と。

 

利他の教え

ノブレス・オブリージュの教えをいただいたのは

とてもありがたきことだったなあ、と。

 

昏い欲望は

たしかにあるのですが

それでも他の人も幸せであるとか

他の人の幸せのために動ける自分がいた方が好きだな、と。

 

 

では、また次回。