「自分自身のパートナーがほしい」望んでいたのはそれだけだった

良いパートナーが

いる人も

そうでない人も

こんにちは。

 

とろろそばが食べたい管理人です。

 

 

以前は

「成長し続けなきゃ」

という強迫観念に追われて

(自分では「成長したい」と思っている

と思い込んでいた)

バーンアウトを起こしたり

色々あったのですが

 

最近はそれが落ち着いてきて

毎日の何気ないことが幸せだなあと

思えるようになってきました。

 

以前は

「一ヵ月に本を10冊以上読めば日本人の上位10%に入れる」

「成長を目指さなければ」

「最先端のものに触れ続ける」

「一流のものに触れ続けていれば

一流がわかる審美眼が磨ける」

 

という情報に惹かれて

「よっしゃあ! 1ヶ月に10冊以上目指すぞ!」

「最先端の情報を得続けよう!」

「一流のものを見続けるぞ!!!」

 

なんてガンバッていたんですが。

 

いまは

「そもそも日本人の上位10%に入れたからなんだっていうんだ……?」

という感覚が。

 

(とはいえ一流になれたらいいなあ

という気持ちがまったくないわけではないですが)

 

結局のところ

「日本人の上位10%」

とか

「一流」

というのは

 

「自分の外側にある基準に応える」

「他人からすごいと言われる人間になる」(=承認欲求)

「まわりの人たちに置いていかれない(=安心感)」

ってことなんだなあ、と。

 

自分の魂の奥底が満たされるような

内側から湧き出る要求とは

ちょっとちがうよなあ、と。

 

 

誰かから「いいね」と言われたい。

成長しないとまわりから置いていかれてコミュニティからあぶれる。

能力を身につけないと将来何かが起こったときに

自分の生活が守れないかもしれない。

(社会的にまともな生活を送っていないと

周りからどう思われるんだろうという不安)

 

っていう

不安感を拭いたい(安心感を得たい)

承認欲求を満たしたい

って

思いにほかならなかったんだなあ、と。

 

 

じゃあ、最近は

なんで落ち着いてきて

いまが幸せだなあ

と思えるようになったのかというと。

 

人生で初めてのパートナーができた

(*・ω・*)

からだなあ、と。

 

その瞬間に

自分の魂の奥底が満たされる感覚に。

 

以前から気づいてはいたのですが

自分が心の奥底から望んでいたのは

「自分自身のパートナーがほしい」

ということで。

 

父親とどれだけ仲良くても

「どれだけ父に盲目的に愛されても

この人には母という唯一のパートナーがいて

私はこの人にとっての唯一の存在じゃないんだ」

 

という虚しさに襲われたり。

 

異性恐怖があったり

異性からちょっとでも触れらると「キモチ悪い」とゾっとしたり

自分に関わる性的な生々しい話をされると

猛烈に激しい怒りの感情に襲われたり

 

そういうのがあったから

相手から好意を寄せられているとわかっていても

「私は応えられないんだよなぁ……」

と、気づかないふりをしたり。

 

そのくせに

「自分はどうして付き合うという行為に至れないんだ」

と自責したり。

 

好意を寄せられているとわかっていても

「この人も親しくなったら態度が豹変するんじゃないか」

モラハラ化するんじゃないか」

「ひどいことを言ってくるようになるんじゃないのか」

「いずれ自分のもとを去っていくんじゃないか」

と警戒し続けたり。

 

異性愛者であるし

性的欲動も普通に湧く生体を持っているから

年の近い異性といるとうれしいし

仲良くなりたいという思いもあるし

無意識的にウーイング的な行動もとってはいたのだけれど

 

異性恐怖があるから結局

恋愛的な意味で誰とも仲良くなることはできなくて

「応えられないくせになんで自分はウーイングするんだ」

「自分が女じゃなかったらこの人と仲良くなれたんじゃないか」

「なんで世の中に性別が存在するんだ」

と自分の女性性や性的欲動を責め立てたり

 

踏み込んでこようとする人はだいたいモラハラ系の人だったりで

 「自分は結局男の人とはムリなんじゃないか」

と自分の本来的な願望が叶わないんじゃないかという

絶望や諦観にさいなまれたり。

 

「告白してくれないかな」

と望んでおきながら

「どうせ自分は応えられないんだろうな」

と自分をあきらめていたり。

 

 

けれど

 

そんな長い長い

対人恐怖、異性恐怖等の長い道のりの果てに

ようやく

自分が本来的に望んでいる願望が叶ったなあと。

 

「自分自身のパートナー」

ができた(*・ω・*)

 

何もしていない状態で一緒にいても

それが居心地がいいなあ、と思える。

 

無理に成長し続けなくても

がんばり続けて関係を維持しようとしなくても

一緒にいて居心地がいい。

 

 

結局昔の自分が

「日本人の上位10%に入ろう!」

「成長を目指さなければ!」

「最先端のものに触れ続けなきゃ!」

「一流のものに触れ続けなきゃ!」

がんばっていたのは

安心感を得たい

承認欲求を満たしたい

というのはたしかにあったのですが

 

「そうすれば自分のパートナーができるはず」

という

思いがどこかにあったからだなあ、と。

 

いまの自分じゃだめだけど

がんばって変わったらいいパートナーができるかもしれない。

日本の上位10%に入るくらい成長すれば

自分に見合うパートナーにめぐりあえるかもしれない。

英語や多言語ができるようになれば

良いパートナーにめぐりあえるかもしれない。

 

そういう欲動に突き動かされて

ガンバッていたんだなあ、と。

 

けれど

いまの職場で

「いまの自分でも良いんだ」

「がんばらなくても幸せってあるんだ」

「がんばろうと無理していないこの人たちの方がむしろ幸せそうだなあ……」

と思うようになって

自分が変わっていくなかで

 

ようやく

自分の魂の奥底が満たされる

「自分自身のパートナー」

と一緒にいる

というところに至れた。

 

自分にとっての幸せは

小さい頃の自分が味わっていた

 

「家族で楽しくごはんを食べる」

「公園や海などで一緒に遊ぶ」

「一緒にいて同じ時間を過ごす」

 

ということだったんだなあ、と。

 

色々確執はあったし

家族との関わりで苦しみもあったけれど

結局自分にとっての幸せは

そこにあったんだなあ、と。

 

気心の知れた人と一緒にいたい。

触れ合ってぬくもりを感じていたい。

一緒にごはんを食べたい。

のんびり一緒に時間を過ごしていたい。

 

そういうところに自分の幸せはあったんだなあ、と。

 

そんなこんなの

気づきがあった昨今。

 

もちろん、完全に幸せな状態で

オールオッケー!!!

というわけではないですが。

 

ときどき

昔のことを思い出して

淡い希死念慮がさざなみのように起こったり

色々あるっちゃあ、ある。

 

でも、これが自分にとっての

幸せなんだなあ

というものがこの手の中に入ってきた。

 

そんなこんなの昨今。

 

 

では、また次回。