いまの自分を大事にして居心地よくある

その人が幸せである

居心地の良い状態である

っていうのが

一番大事だよなあ

と最近ことに思います。

 

ネットの情報に触れていると

「あ、がんばんなきゃ」

「なんかやってない自分大丈夫なの?」

と明確な理由のない焦りが生まれてくるのですが。

 

「FOMO」

(fear of missing out )

という言葉があるようです。

 

自分だけ周りから置いていかれるんじゃないか

取り残されるんじゃないか

と恐怖心に苛まれて

過剰に周りに合わせようとがんばってしまうこと。

 

過剰適応

という言葉で表されるようですが。

 

周りに取り残される恐怖心。

からくる焦り。

そして過剰に自分を奮い立たせてがんばる。

そして疲れてしまう。

けれどそのサイクルから抜け出せない。

自分がどんどん疲弊していってもやめられない。

 

少し前までの自分がそれだったな、と。

 

先生と話していると

「いまの世の中で出回っている情報は

8、9割ががんばんなきゃいけないような

気持ちにさせられるもの。

でも、自分が居心地が良いと思うのは

別の1割の方なんでしょう。

惑わされないようにね」

と。

 

自分の軸を失わないように舵をとる。

 

 

『幸福になりたければ幸福になろうとしてはいけない』

というタイトルの本を

読んだことがあるのですが

もう中身は忘れてしまった。

 

幸せな状態であることを求めると

「まだ自分は幸せじゃない」

「自分本当に幸せなの?」

と現状のあら捜しに向かいやすくなって

逆に幸福度が下がってしまう

という話だった気がします。

 

 

でも、幸せになりたい

という気持ちは持っていてもいいよなあ

と思います。

 

つまるところ

マインドフルネス。

自分の感覚を大事にしていくことですが。

 

幸せになろうとすると幸せから遠ざかる

というのは

自分の外側の基準に照らし合わせた幸福を求めようとするから

だろうなあ、と。

 

これを買えば幸せになる(だろう)

これを持てば幸せになる(だろう)

これができるようになれば幸せになる(だろう)

 

という未来予測に基づいて行動するから。

 

 

でも

自分の内側の声を聞いて

自分の感覚を大事にしていくと

 

「あ……いまなんとなく幸せ」

「あー居心地いいな」

 

と「いま」に感覚が向くから

幸せを感じやすくなるんだろうなあ、と。

 

 

自分の場合

ネットの情報の海に自分から飛び込んで

ふと

「このままで大丈夫なのか」

と焦燥にかられるときというのは

 

(ネット上の)

この人みたいに

不特定多数から

「スゲー!」って

思われたいなあ

という欲求が根源にあるんだなあ、と。

 

 

ダラダラといまの幸せを噛みしめたい

と思って過ごしているのも自分。

そんな中でも

不特定多数から「スゲー!」って思われたい

と願望を持っているのも自分。

 

いまは

そんな自分だっていいんだよ。

 

と自分を抱きしめる(*´ω`*)

 

 

とりあえず

 

ダラダラとして自分を大事にしながらも

英語の本読んだろ~

英語の多読したろ~

と。

 

 

では、また次回。