鬱症状が出る人の根幹には○○の抑圧がある

ついつい自分のことを

責めてしまいがちな人も

そうでもない人も

こんにちは。

 

ハッカあめをひさしぶりになめたら

おいしく感じた管理人です。

 

鬱の人というのは

「必ず何かしらの罪悪感を抱えている」

という話を見まして。

 

また、別の記事では

「根幹に怒りを抑圧している」

という話を見まして。

 

また某所では

「自責をしやすい人というのは

根幹に怒りの感情がある」

というのを見まして。

 

だから

とにもかくにも

鬱症状が出やすい人というのは

「怒りの感情の抑圧がある」

ということ。

 

もともとのパーソナリティとして

感情を凝固しやすかったり

抑圧しやすかったり。

 

幼少期の家庭環境で

傷つくことが多くて

「感情を感じないように順化した」

「感情を感じないように思考に逃げるようにした」

「感情を流す癖をつけた」

ことがあったり

「ネガティブな感情を否定する・消そうとするようにした」

ことがあったり。

 

そんな心の癖が降り積もって

蓄積していって

それが「鬱」という症状として出てきた。

 

だからとにかく

自分の感情を

「ありのままに味わい尽くす」

というのが大事になってくる。

 

 

 

「親に対してこんなこと思っちゃいけない」

という心の癖がある人は

他の対人関係でも

「こんなこと思っちゃいけない」

と感情を抑圧してしまう。

 

 

「なんでこんなひどいことするの!?」

「親に色々世話を見てもらっているんだから

こんなこと思っちゃいけない……」

 

「ふざけないでよ!!!」

「自分は恵まれた環境で育ってきたんだから

こんなこと思っちゃいけない……」

 

「なんでもっとこうしてくれないの!?」

「もう良い年なんだから自分も大人になって

こんな子どもっぽいこと思っちゃいけないよな……」

 

「ちゃんとやってよね!!!」

「自分もちゃんとできていないんだから

相手に対してだけこんなこと思っちゃいけない……」

 

 

 本当は

「こんなこと思っちゃいけない」

なんてことは何一つない。

 

自分が感じる感情がすべて。

 

そこに善悪はない。

 

ただ泉のように湧いて出てきただけ。

 

そこに意味を付加するから

おかしなことになってしまう。

 

善悪で自分の感情を評価するようになると

「こんなこと思っちゃいけない……」

「怒りを感じるのは悪いことだ……」

と自分の感情を抑圧する方向に動いてしまう。

 

湧いてくる感情に善悪はない。

 

湧いてくる感情は

ただそこに現れただけのこと。

 

ほかの誰にも見えない。

 

ちょっとした表情やボディーランゲージで

気づいてくれる人はいるけれど

それでもその人は

あなたのすべてを完全に理解してくれるわけじゃない。

 

あなたの感情はあなただけのもの。

何に対してどんな感情が湧くかは

自分でも予測できない、操作できない。

 

ただ泉のように湧いて出てきただけ。

 

 

 

怒りの感情を抑圧してきた人は

ふとした瞬間にそれがバッと

放出してしまいそうになったり

実際誰かに爆発させてしまったり。

 

だいたいそれは

自分よりも立場が弱かったり

抵抗しなさそうだったり

優しそうな人だったり

「この人だったら自分のこと受け止めてくれるんじゃないの?」

と期待を寄せる人だったりする。

 

だから

自分を攻撃してこない

自分にひどいことをしてこない

「イイ人」に対して怒りを爆発させてしまう。

 

本当はその人はあなたにとっての

「イイ人」のはずなのに。

 

「自分のことをわかってくれよ!!!」

「自分はこんなにもつらいんだよ!!!」

と暴風雨のような感情をその人にぶつけてしまう。

 

本当はその「イイ人」とは

ハートがあたたかくなるような

笑顔があふれるような触れ合いがしたいはずなのに。

 

けれど

そうやって少しずつ少しずつ

「怒りの感情を味わう」

ということをしていくと

だんだん

カッと猛烈に怒りが爆発してしまう

ということもやわらいでいく。

 

怒りが自責に転換しやすい人は

最初は

怒りを味わおうとすると

すぐに自責に転換してつらくなってしまう。

 

けれど

くりかえしくりかえし

「感情を味わい尽くす」

訓練をしていくうちに

よくなっていく。

 

「あ……自分もこういう風に思っていいんだ」

「あれ……意外とみんなもこんな汚い感情思っていたりしたんだ」

「なんだ、自分だけじゃなかったんだ」

 

少しずつそう思えるようになっていって

少しずつ、少しずつ

自分の「怒りの感情を味わう」

ということができるようになっていく。

 

そうすれば

過剰に自分を責め立てていた自分も

だんだんとやわらいでいく。

 

 

そう思った。

 

ただそれだけ。

 

 

 

では、また次回。