オルタナ~神に選ばれなかった者~-3-

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

ぱしゃり、と●●は顔にお湯をかぶった。

湯船につかった、手先、ひざがじくじくと痛む。

 

昼間、謎の黒装束の男に襲われ

地面にたたきつけられたときに身体に擦り傷をつくったようだ。

 

……擦り傷程度ですんでよかったと思うべきなのだろうか。

 

 

あの男は一体なんだったんだろう。

 

人さらい。

何を目的に。さらわれていたら、一体何をされていた。

 

背筋にぶるりと寒気が走り、●●は湯船に頭ごと沈んだ。

 

父と母には……言えなかった。

人さらいにあいかけたことを。

 

そう言ったら、どれだけ心配するか。

ひどく騒ぎ立てるに違いない。

 

実の子である自分が不適合者(アヌマギア)であるというだけで

両親を心の奥底で悩ませていることには気がついていた。

 

無意識的な心痛を負わせていることを。

 

これ以上、あの二人の負担にはなりたくなかった。

 

……これ以上の重荷を自分が背負えば

自分の居場所を失ってしまうかもしれない。

 

愛されているのはわかっていた。

けれど、不適合者(アヌマギア)である自分が

心の底から愛されているのか、必要されているのか、わからなかった。

 

適合者(マギア)だったら

もっと無条件に愛されていたのではないか。

 

自分が、大多数と同じように選ばれた存在だったら

どこか張り詰めたような空気が流れる家族にはなっていなかったんじゃないか。

 

不適合者(アヌマギア)であったとしても自分の子どもだから愛さねばならない、と

変な気負いをあの人たちにさせることもなかったんじゃないか。

 

それを実の子どもの自分に気取られまいと

親らしく振舞おうと無意識的に気張らせる生き方をさせなかったんじゃないのか。

 

……自分の存在が受けいられるものであると

がんばりながら証明するような生き方をする自分でなくともいられたんじゃないか。

 

 

息が苦しくなって、ざばりと●●は水面に顔を出した。

水滴が弾け、流れ落ちた湯が目に染みた。

 

はあ、と冷たい空気がのどから肺まで入り込んでくる。

 

 

ふと、●●は額に手を当てた。

指先で触れた箇所は、熱を持っているように感じられた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

つんざくような雷鳴だけを残し、黒装束の男は跡形もなく消えた。

 

「おい、逃げられちまったじゃねえか!

なんで緊縛の術をかけとかなかったんだよ!!!」

 

「……かけてましたよ。それでも……抜け出されました。

そこまでの手練れではない、と術のかけ方が甘かったのは認めますけども」

 

「ようやくつかみかけた手がかりだってのに――」

 

 

ぎゃーすかぎゃーすかと喧嘩をはじめた二人を

●●は呆然と眺めていた。

 

……色々なことが立て続けに起こって

腰を抜かして動けなくなっていた、という方が正しいかもしれないが。

 

突然、くるり振り返った赤髪の少年と目が合い、びくりとする。

 

ふわりとフードのすそがひるがえる。

アカデミーの証である象形十字がはためいた。

 

ざっと目の前にしゃがみこみ

眼前まで鼻先を寄せてきた少年に思わずのけぞった。

 

「あんたもとんだ災難だよね。

生まれが不適合者(アヌマギア)ってだけでこんな目に遭わされるなんて」

 

自分を気遣っての言葉だということはわかっていた。

けれど、どうしてかそのときの少年の言葉がぐさりと自分の心臓に突き刺さった。

 

『不適合者(アヌマギア)ってだけでこんな目に――』

 

……それは、自分自身が、いつも世界に対して感じていたもの。

それでも感じないように隠し続けていたもの。

自分に対するなぐさめのために使い続けてきた言葉。

 

どうして、どうして不適合者(アヌマギア)だっていうだけで。

不適合者(アヌマギア)だから、仕方ない。しょうがない。

 

――それなのに。

 

他の人間からそれを声に出して伝えられたことに

腹の底から形容しがたい激烈な感情が湧きおこってきた。

 

適合者(マギア)の人間から憐れみをもたれたということが、たまらなく恥ずかしく思えた。

恥ずかしい、だけじゃない、言葉にしがたい――屈辱だ。

 

強張った唇を開きかけたとき――。

 

……●●は言葉を失った。

 

「サクリフィスにどうかご加護を」

 

……少年の唇が、自分の額に触れたからだ。

 

「魔除けのおまじないだよ。

また森のクマさんに襲われないように気をつけてね」

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

思い出して、●●は顔にガッと熱が集中するのを感じた。

 

魔除けとか、いきなり何を考えてるんだ。

不適合者(アヌマギア)である自分にあんな風に接してくる人、はじめてだ。

自分のことを不適合者(アヌマギア)だとレッテル貼りしてふざけないで――。

 

色々な思いがごちゃごちゃと錯綜して、わけがわからなくなる。

 

そこではた、と●●は気がついた。

 

……どうしてあの二人は、自分が不適合者(アヌマギア)だと知っていたのだろう。

 

適合者(マギア)と不適合者(アヌマギア)の違いは

見た目ではわからないはずだ。

初対面の人間ならばわかるはずがない。

 

そう、だから、不適合者(アヌマギア)だと知られる前だったら

うまくいくのだ。人間関係が。

 

不適合者(アヌマギア)だと知られた途端、関係が歪(いびつ)になる。

いたたまれなくなって、自分から輪の中から抜けていく。

 

 

不適合者(アヌマギア)だけを狙った人さらい事件。

そのうわさを元に、あてずっぽうに言っただけなのか。

 

わからない。何もかもが、わからない。

 

黒装束の男の鋭い眼光が脳裏に浮かぶ。

 

……明日、自分がいままで通りの普通の生活が送れるかどうかも――。

 

『魔除けのおまじないだよ』

 

見ず知らずの少年が残していった不躾な額の熱が、

恐怖に震える自分を慰めてくれた。

 

それがなんとも皮肉で、●●は思わず笑った。

 

 

  

f:id:Yukigatari:20210304082547j:plain