『聖マリアナ協会 遺体安置所』とある……の嘆き

自分の存在に対して不信感があるから

誰かに愛されることによって

自分の存在を証明しようとしているのでしょう。

 

自分は誰か一人に必要とされている。

誰かの幸せになっている。求められている。

存在を受け容れられている。

 

そう思いたいがために

「この***なら自分のことを受け容れてくれるんじゃないか」

「ずっと寄り添ってくれるんじゃないか」

「自分のすべてを認めてくれるんじゃないか」

と常に選別の眼差しで異性を選り好んで。

 

けれど

「自分はこの世界に居場所がない」

「自分は誰からも必要とされていないんじゃないか」

「大勢の中に身を置いても孤独である虚しさは消えない」

という己に向けた不信感は

相手に向けられる刃となる。

 

「この***は本当は自分のことを受け容れていないんじゃないか」

「本当は馬鹿にしているんじゃないか」

「いつか、自分を捨てて見向きもしなくなってしまうんじゃないか」

 

そうだ。だから――。

 

――自分がこの***を切り捨てる立場にいるんだ。

支配する側の人間なんだ。

 

そう強がることで

存在の拠り所のない自分を保とうとしている。

 

他人のことを受け容れていないのは、いつだってあなただ。

他人を馬鹿にしているのは、本当はあなただ。

自分のすべてを認めていないのはあなただ。

いつだって他人を切り捨てるのはあなたで、逃げるのもあなただ。

 

 

いつだって、自分の存在を不安がっているのは、あなただ。

はじまりは、自分の存在を脅かすのは誰かだったかもしれない。

けれど、いまにいたっては

四六時中自分の存在を脅かし怯えているピエロになりさがっているのは

一体誰だっていうんだ。

 

そうやって、一生道化を演じて踊り狂っていけば良いんだ。

孤独をパートナーに死ぬまで踊っていけ。

 

存在の強さを示している

あなたの笑顔の中に

わずかばかりの幼い孤独を見つけて

憐れに思った。

 

それだけ。

 

たったそれだけのことが

わたしの孤独を強めていく。

 

それがわかるということが、誰にも理解されない。

周りにいる他の誰かには、その孤独はわからないのだ。

 

真実を見る目を持っていたって

良き理解者にはなりえなかった。

 

ただの観察者だ。

 

本当は救えたんじゃないか。

そう思ったって、救えるだけの強さを持っていなかった。

人を救えるだけ、自分のことを救いきれていなかった。

 

たった、それだけのことだった。

 

そう、だから。

 

他人のことを受け容れていないのは、いつだってわたしだった。

他人を馬鹿にしているのは、本当はわたしだった。

自分のすべてを認めていないのはわたしだ。

いつだって他人を切り捨てるのはわたしで、逃げるのもわたしだ。

 

 

わたしはいつだって、孤独の淵にいる。

孤独をパートナーに、一人の時間をなぐさめているのは

いつだってわたしの方だった。

 

それだけ。

 

たったそれだけのこと。

 

己のことを鍛え上げたって

数値で自分の有能さを示したって

誰かから承認されたって。

 

いつだって

いつだって

いつだって

 

わたしは

恐怖に震えていた。

不安で不安で仕方なかった。

 

 

誰に評価されたって

いつだってわたしはわたしの批判者になった。

 

 

いつだって、孤独の淵に立っていた。

 

手を差し伸べてくれる人がいても

信じきれなかった。

 

自分のことを、いつだって信じていなかった。

 

 

真実が見えるからなんだと言うんだ。

そんなの、いまのわたしを何一つ救ってくれやしない。

 

わたしの脳を焼き切っていく早さで

真実を突きつけてくるこの能力の無意味さ。

 

真実が見えれば見えるほど

理解されぬ孤独が首をしめていった。

 

 

誰か、誰か誰か、いないのか。

 

同じ景色が見える人間が。

 

 

宗教裁判にかけられて殺されないだけ

ましだとでも言いたいのか。

 

そうやって哂っているのか。

 

 

かなしいくらいに

わたしは道化(わら)っている。

 

真実を共有できず

嘲いの的として後ろ指をさされていることが

かなしいくらいに

わ た  し   は。

 

 

『聖マリアナ協会 遺体安置所』

――亡骸にすがりつく 聖ルチアの嘆き