映画『ダニエル -Daniel isn't real-』の感想・考察 ※ネタバレ含む

映画を最近

見た人も

見てない人も

こんにちは。

 

某コンビニのバスク風チーズケーキに舌鼓を打った管理人です。

 

最近ひさしぶりに映画をまるまる一本通しで見ました。

 

『ダニエル -Daniel isn't real-』

 

スリラー×イマジナリーフレンド

 

孤独な青年ルークが

空想上の友だちと生活をしていく中で

だんだんと人格を奪われ

日常が狂いはじめる……というお話。

 

 

※以下多大なネタバレを含んだ感想・考察(という名の妄想)

 

 

 

 

 

 

映画の説明では

幼少期の孤独を癒すために

イマジナリーフレンド(以下イマフレ)ができて……

みたいな話でしたが

 

実際にイマフレが登場するのは

幼少期のルークが血にまみれた人の死体を見た直後だなあと。

 

「あの子の面倒どうすんのよ!」

みたいな両親の会話を聞くような

家庭不和な状態がベースのストレスとしてあって

 

そこで血まみれの死体を見るという

強烈なショックが加わって

自分の精神を守るためにイマフレができたのかな、と。

 

おそらく血まみれの死体を見た瞬間

感情を感じない状態だったんじゃないかな、と。

ショックが受け止めきれないから感情をストップさせる。

でも潜在意識には精神的なショックが残って

トラウマ化しているんじゃないかな、と。

 

物語中盤で

目覚める瞬間のルークの脳裏に

血まみれの死体が一瞬フラッシュバックしたことからも

たぶんトラウマ化していたんだろうなあと。

 

その後父親は出ていき

母親と二人で暮らすようになるのですが。

 

冒頭の

「あの子の面倒どうすんのよ!」

という台詞を含んだ両親のケンカを聞く過程環境下にいて

ルークは

「自分の居場所がない」

「自分が家庭不和の原因なんじゃないか」

「自分がいなければ両親は幸せだったんじゃないか」

という

自己肯定感を育めない幼少期を送って

それでいまにいたる、というカンジなのかな、と。

 

終盤で

イマフレ(の人格が表面に出たルーク)が

「お前は誰だ」

という質問に対して

「俺は旅人さ、自分の家(居場所)を探している」

と返したことに象徴されているように

 

自分の居場所がない

親に愛されてない(んじゃないかという不安感)

 

っていうトラウマが根底に流れているのかなあと。

 

ルークの母親は精神を若干病んでいて

薬で精神を安定させているような描写があり

 

幼少期のルークは

「これ何?」

「ママをハイにさせるクスリさ!(台詞の記憶曖昧)」

とイマフレのダニエルの指示のもと

大量の薬を

母親が飲む予定の飲料が入ったミキサーに混ぜる描写があり。

 

その後ママの様子がおかしくなり

「ルーク、ママに何をしたの?」

「僕じゃない、ダニエルだよ」

というやりとりの後

 

母親の指示のもと

イマフレをドールハウスに封じる。

 

時は流れ

大学生になってから物語がスタートするのですが。

ママは昔よりも廃人気味になっている。

 

という感じ。

 

映画を観ているときは

子ども特有の無邪気な悪意のもと

無意識的に母親に危害を加えるために

クスリを大量投入した。

(カバードアグレッシブ的行動)

 

それがいまにつづく罪悪感(精神疾患

のもとになっている。

 

と思っていたのですが

 

「ママがハイになるクスリさ(台詞の記憶曖昧)」

というダニエルの台詞から

「この薬を飲むとママはいつも元気になっている!」

「だからこの薬をたくさん飲めばママはよくなるはず!」

「あれ……ママがおかしくなってる」

「僕のせいじゃないよ!」

 

みたいに

母親に対してよかれと思ってやったことが

実際には母親を狂わせてしまった。

という罪悪感から精神がおかしくなっている。

 

と解釈もできるのかな?と。

 

でも大量薬物投入後の

ルークがベッドでじっと座って待っているときの

映画の演出的には

カバードアグレッシブ的な行動だった

という方がしっくりくるような気がします。

 

青年期のルークがぐでんぐでんに酔って眠っているときに

イマフレダニエルがルークの首を刃物で傷つけるシーンがあり

ダニエルが

「僕を殺してよママ」

と子供っぽい声を出して言う。

 

これは母親に対する罪悪感がトラウマにある。

罪をおかした自分を罰してほしい(許してほしい)。

という潜在意識の現れなのかな、と。

 

別の場面で

「母親を殺そうとしたんです、子どもの頃に」

と始めて言葉にできたシーンがあったことからも

 

母親に対する罪悪感が

ずっと根底にあって精神疾患気味だったのかな、と。

 

大学生になったダニエルは寮生活をしているのですが

あまりその生活になじめず

精神科医の先生のもとに行き

その後母親のいる実家のもとにいく。

そこでイマフレを封じたドールハウスの布を取り払うシーンがあり。

 

だからイマフレ復活したのかな

という象徴的な行動なのですが

 

実際にイマフレが復活

(ルークが青年期になってはじめて可視化)

するのは

 

気が昂った母親に

気づかって触れようとするルークが

「触らないでよ!!」

と手を振り払われ拒絶された瞬間。

 

実の生みの親である母に

拒絶された、という精神的ショックから

イマフレのダニエルが復活したんじゃないかな、と。

 

最初にイマフレが誕生したのも

血まみれの死体を見たという強い精神的ショックから

自分の心を守るためで

イマフレが復活したのは

親に拒絶されたという強烈な精神的ショックから

自分の心を守るためなのかな、と。

 

本体の自分の心がショックな出来事を全部受け止めきれない

感情としてありのまま感じるにはショックがでかすぎるから

防衛本能として自分の精神を分離させたのかな、と。

 

実の親に拒絶される

⇒自己存在を否定される

 ⇒強烈な精神的ショック

 

はさみで自殺しようとする母親を必死でとめようとするルーク。

ダニエルが「自分を刺せ」とささやきかける。

その言葉の通りに母親が持っていたはさみを

自分ののどもとに突き立てるルーク。

母親は「やめて!!」と叫びルークに泣きながら手をあてる。

 

このシーンは

母親に自分は愛されている

といううっすらとした確信のもと

「愛している僕がこんなことしたらお母さんもびっくりして、自分を傷つけるのをやめてくれるに違いない」

「愛していたら僕が死のうとしたら泣きわめいて止めてくれるよね」

という愛情確認行為だったのかな、と。

 

(ダニエルというイマフレに分離した感情・思考)

「お母さんは僕のことを愛しているから僕が死のうとしたら、お母さん自身が死ぬことも僕が死のうとすることも止めてくれるに違いない」

(ルークとして表面に流れている感情、根底の不安感)

「お母さんは僕のこと本当に愛しているの……?」

と。

 

実際に母親が自殺をやめてくれて

自分が死のうとしたら止めに入って泣きわめいた姿を見て

「自分はやっぱり愛されているんだ……」

と無意識的に確認する行為だったんじゃないかな、と。

 

 

女の子が聖書を持ち

神の台詞をイマフレダニエルの指導のもと

ルークが暗唱するシーンがあるのですが

 

正しく暗唱するイマフレダニエルに対し

ルークは(女の子の笑いをとるためか)ふざけた言い回しにかえる。

 

その瞬間イマフレダニエルが猛烈に怒った様子で

「お前にとっての神は私しかいない!」

と言う。

それにルークは放心したようにダニエルを見つめ返す。

 

 

ルークは(おそらく)キリスト教圏で育ち

キリスト教の宗教的世界の価値観が潜在意識にあって

神の言葉をふざけた言い回しにかえたことに対する

潜在的な罪悪感と

神(もといキリスト教の宗教的価値観)に罰されるという

潜在的恐怖感を

イマフレのダニエルが象徴していたのかな、と。

 

ルークはすごい罪悪感を持ちやすい

自分を罰しやすい性質を持っている感じ。

境遇ゆえかわからないけれど。

 

神のことばをふざけて冒涜したことに対する潜在的罪悪感と

キリスト教的世界観に罰されるんじゃないか、という恐怖感。

幼少期母親に大量の薬物を投与した罪悪感と

そのことがいつか罰されるんじゃないか(まわりの人間に知られて後ろ指を指されるんじゃないか)、という恐怖感。

 

がリンクしてるのかな、と。

そんな風に関連づけ。

 

後半になるにつれて

イマフレダニエルは

人に対して

「こいつほんとクソだな……(イラァ)」

と言ったり

自分を拒絶した女性を殺す(実際にはルークの妄想)

役をかったりしていて

 

ルークの抑圧した感情を象徴しているんだろうなあ、と。

本当はこうしたいという欲望や怒りの感情を主体にしている。

 

でもルークはそんな感情が自分の中にあるとは思っていない。

それを受け止められないから、表面的には気づいていない。

 

母親に対しても

罪悪感と怒りの両方を内在しているんじゃないかな、と。

 

罪悪感:大量薬物を与えた、廃人にさせてしまった、自分の存在が両親不和・家庭崩壊の原因だったんじゃないか

怒り:あんたが精神的におかしいから自分もおかしくなったんだ、なんで普通の親じゃないんだ、なんでもっとまともに生んで育ててくれなかったんだ、なんで自分を愛してくれないんだ

 

自分の母親のようにおかしくなるんじゃないか

という恐怖感も同時にある。

 

 

ルークはダニエルを消すために

薬物を使い

東洋的な療法も登場するのですが。

 

西洋医学で心の病を救うのは限界がきていて

そこに一筋の光として現れたのが東洋の文化。

東洋的な療法だったらいままで治せなかったものも治せる。

という期待を人々は感じていたけれども

実際にはそれでも救えない人がいると

人々が気づき始めてきた。

という作者の思いが投影されているのかな、と。

 

 

ルークがとある強い罪悪感を感じる出来事を体験したのち

ダニエル風な装いの派手な格好をするシーンがあるのですが。

 

実はその装い

とある事件を起こした犯人のイマジナリーフレンドが着ていたものにそっくり。

(犯人が犯人自身のイマジナリーフレンドを描いたイラストを物語の中盤でルークが見たから、おそらく潜在意識にイメージが残っていた)

 

(そのイラストを見て

ルークはイマフレダニエルは自分だけの固有の存在ではなくて

様々な人にまたがっている共通の悪魔のような存在なんじゃないか

と妄想に憑りつかれ始める)

 

 

自分の心の中の部屋で

ルークは化け物の顔をした人物と出会い

「あんた(犯人)か?」

と聞くシーンがあり。

 

ここに象徴されているのは

罪を犯したのは自分ではなく

犯人や自分に憑りつく悪魔のような存在(=イマフレダニエル)

がいたからである。

罪を犯したのは自分ではなくイマフレダニエルという

自分とは別個の存在である。

犯人に憑りついていたイマフレダニエルが

今度は自分に憑りついて悪事をさせているんだ。

 

という現実逃避なのかな、と。

 

 

ルークの根幹にあるのは

自分を罰する罪の意識、自己否定で

 

ルークが本当に救われるためには

イマフレダニエルも自分である。

弱いありのままのルークとしての自分がいたって

強烈な感情の象徴であるイマフレダニエルがいたって

いいんだよ、と

受け入れることなんだろうなあ、と。

 

イマフレダニエルを否定して消そうとしても

精神的に救われないで袋小路に入るんだろうなあ、と。

 

自分が抱えた問題を解決するには

だいたい3つのパターンがあって

 

1.ありのままの自分を受け容れる

2.自分のよくない面を治す

3.いまの自分の上に積み重ねていく

 

という話を見たのですが。

 

だいたいメンタルが崩れやすい人は

「2.自分のよくない面を治す」

に解決方法が偏って

「1.ありのままの自分を受け容れる」

がものすごい苦手。

って感じがします。

(Have beenな自分のことなんですが……)

 

メンタルが病みすぎて

All or Nothing的な思考に憑りつかれると

イマフレダニエル(自分の負の象徴だと自分が認識している面)を消すか

自分が死ぬか

みたいになっちゃうんだろうな、と。

 

イマフレダニエルを消すという手法を選択してしまうと

結局本当は自分の一部(自然発生する感情の一部)を消さないといけないことになるから

解決がほぼほぼ不可能。

だから精神分裂状態も自己否定感も治らない。

 

かといって自分が死ぬという選択をとったら

全部がおわるから「解決法としては……うーん」

 

 

ラストの盛り上がりシーンは

「そうくるかー!!!」

ダニエルとルークがそれぞれ手にしたものに

「おぉー!!!」

と心中盛り上がる。

 

トラウマの根幹は幼少期にある。

解決するにはいったん感覚をその当時に戻す必要がある。

 

 

……そんなこんな色々思いや感想を巡らせながら見た映画でした。

俳優さんの表情の機微・変化がすごい、演出がおもしろいなあ、と。

 

 

では、また次回。