人と話すときに話題がまったく浮かばない原因

 

「人とは普通に話せるんだけど自分から話題が振れない」

「会話をしているようでほとんど相づちしかしていない」

「なんか話してよ、って言われて何も浮かばず『えーと、あのー、うーん……』しか出てこない」

「自分の話をするのが大好きな一方的に話している人と会話しているのが一番楽」

「何か話題をつくりたくても話のネタがまったく浮かばない」

 

こんな経験はないでしょうか。

 「自分から話題が出せない」原因はなんなのか?

 

その原因とは……

 

「依存性の高さ」

 

要は

「自分は何もしないで相手にやってもらうのが当たり前」

の状態になっていたからなんですね。

 

これ、とある心理セラピストの方のブログに書かれていたことなんです。

読んだときに衝撃を受けて、納得したのを覚えています。

 

こういう人は

幼少期の親子関係(もしくは今に続いている親子関係)に原因があるそうなんですね。

 

自分から話のネタがまったく浮かばないタイプの人。

その人の親が過保護な場合が多い。

親が何でもやってくれる。

 

 

こういう親の元で育つとどうなるかというと

 

自分で何もやらない方がことがうまく運ぶ。

自分で何か考えて行動しない方が良い結果が出る。

自分が考えて導き出した答えよりも親が考えて出した答えの方が早いし適格。

 

これを繰り返し、親とのやりとりの中で学習してしまうわけです。

 

学校に通って外の世界と触れ合っていたとしても

やっぱり生活の基盤となり多くの時間を過ごすのは家ですよね。

どうしても親と過ごす時間が長くなって影響を受けやすくなります。

 

親とのやりとりの中で

「自分が何もやらない方が生存確率が高くなるんだなあ」

と無意識にどんどん学習していってしまう。

 

だから

自分で考えること

自分で行動すること

これを放棄してしまう

 

その方がうまく人生が運ぶから。

 

本当はその人自身に思考する力はあるのだけれども

それを発動させない方が良い結果に結びつくと学習しているから

完全にカギをかけてしまう。

 

自分で話題を提供するのって

自分で考えた情報を口に出すって行為ですよね?

 

でも、考えることを放棄しつづけていたから

何を話そうか、と自分で考えることができなくなってしまっているわけです。

 

で、けっこう学生の間はなんとかこれでもうまくことが運ぶのですね。

だから意外とこの問題に気づかないことも多い。

 

問題は社会に出てから。

 

社会に出て働くということは

自分で考えて行動することにほかならないから。

 

よっぽど上からの指示が絶対で

すべてのことがマニュアル化されていたら話は別ですが。

 

 

会話をするときも

ただ相手の話を聞き流すだけではすまされなくなり

自分の意見を言うことを求められることが増えます。

 

そういったときに色々エラーが起こってしまうのですね。

今までは自分で何もしない方が生存しやすかったにも関わらず

突然自分で考えて行動しないといけない環境に放り出されてしまうわけですから。

 

なんとかしなきゃ、と焦るわけですが

いままで自分で考えないで行動しないことをクセづけてきたわけですから

いきなり人が変わったように主体的に思考・行動ができるわけがありません。

 

何か自分が主体的に話さなければいけない場面になっても

すこーんと頭からすべてが抜け落ちたかのように空っぽ。

何も話題が浮かんでこない。

 

何とか状況を打開しようと

 

「ロジカルな話しの仕方」

「雑談の仕方」

「アナウンサーの話し方」

 

などなど色々なハウツーを取り入れてみるも

どうもいまひとつ。

 

自分から話題を出すことができない。

いや、そもそも話のネタが浮かばず頭が真っ白。

 

から抜け出せず、悩み続ける。

 

親子関係っていうのは

本人にとっては日常になってしまっているから

悩みの原因がそれだと気づきにくいんですね。

 

自分にとっては当たり前に存在していることで

毎日接し続けていつことが普通だから。

 

その影響を受けているってことに気づきにくい。

 

 

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今回の話をまとめると

「人と話すときに話題がまったく浮かばない原因」「依存性の高さ」にある。

「依存性の高さ」とは「自分で考えず行動しないで相手にまかせること」。

その「依存性の高さ」を生まれさせた原因は「幼少期の親子関係」にある。

過保護な親の元で自分で何もしない方が生存しやすいと学習し続けたから

他人に依存して自分で考え行動しないということがクセづいてしまった。

 

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じゃ、こんな自分をどう変えていけばいいんですか?

ってなるんですが、そこから考えることが依存性の脱却につながるのかなと。

 

「答えを教えてクレ」

「自分の変え方教えてクレクレ」

 

じゃなくて、まずは変え方を自分で調べて試してみる。

 

人に頼ることも大事なんだけれども

バランスが難しい問題ですね。

 

依存性が高い人って何かをやってくれる(かも!)という人が現れると

部分的に頼るんじゃなくて

その人に自分の問題を丸投げしたりとか

 

期待に応えてくれないと

「なんでこの人は自分の望むことをしてくれないんだ!」

「この人はダメな人だ!」

ってなったりしやすい気がします。

 

って、過去の私のことなんですが(汗

 

クレクレマンからの脱却。