「全部私が悪いんです!」って考え方、ヤバイかもよ

Aさんという女性のお話をしたいと思います。

 

彼女は自己啓発本に書かれていた

「すべての責任は自分にある」という言葉に感動し

ずっとそれを実践していました。 

 

ある日、Aさんが道端を歩いていたら

通り魔に遭って刺されました。

 

通り魔はそのまま逃走します。

 

運よくそこに通りかかった人が通報してくれて

Aさんはことなきを得ます。

 

病院のベッドの上で

警察に事情聴取を受けるAさん。

 

「すべての原因は自分にある」と思っていたAさんは

警察の質問にこう答えます。

 

「いえ……通り魔さんは悪くないんです」

「あの時間・あの場所を歩いていた私が悪いんです」

「私の勘の鈍さがすべての原因だと思います」

「むしろ、あんなところを歩いていたが故に通り魔さんに傷害罪を背負わせてしまうなんて……」

「本当に申し訳なく思っています」

 

**********

 

これ、本当に全部Aさんが悪かったのでしょうか?

すべてを自分の責任だと反省するAさんに対して、何を思いましたか?

 

 

Aさんはすべてを自分のせいだと考えていたようですが

実際にはAさん以外のものにも原因が存在していますよね。

 

ここで、現象を内的要因と外的要因に振り分けてみましょう。

 

現象:

Aさんが通り魔に刺された

 

内的要因:

同時刻に、通り魔が歩いていた場所に向かった

 

外的要因:

通り魔がAさんを刺した

 

 

これ、内的要因である

Aさんがその場所に向かっていた事実があっただけでは

通り魔事件は発生しませんでしたよね。

 

逆に通り魔がそこを歩き誰かを刺そうとしていた事実があったとしても

そこにAさんが向かうことをしなければ

Aさんが通り魔に刺されるという現象は発生していませんでしたよね。

 

内的要因と外的要因が絡まり合ってはじめて

「Aさんが通り魔に刺される」という

現象が発生したわけです。

 

 

よく、自己啓発本

「すべての責任は自分自身にあるのです」

という言葉がありますよね。

 

この言葉の通りに

「全部私の責任だ、私に非があるからだ」

何が起こってもどんなことがあっても

自分のせいであると考える。

 

これ、かなり悪いのですよ。

何が、というと

 

頭が。

 

そう、あなたのおつむが悪い。

 

ちょっとお馬鹿さんなのですね。

 

 

「全部私が悪い」って考え方の反対は

「全部私以外のものが悪い」じゃないですか。

 

つまり二択で物事を考えているんですね。

 

というより、二択でしか物事を考えられない

 

二択は世の中で最も簡単な判断方法なのですね。

つまり普段、二択でしか物事を考えられないということは

そういう簡単な判断方法しかできるだけの頭しか持っていないということです。

 

 

小さい子というのも

この全か無かという二択で物事を考えてしまいがちですね。

 

「お母さんが僕のこと怒った……」

「僕に対して怒ったということは僕のことが嫌いなんだ!!」

 

怒る=対象が嫌い

怒らない=対象が嫌いじゃない

 

この二択で判断してしまうわけですね。

でも、ある程度成長したらそうじゃないってことがわかりますよね。

「怒ったからってあなたのこと嫌いってわけじゃないんだよ」と。

 

ある程度成長してもこういう思考で

物事を判断している人って多いですよね。

 

「あいつは嘘をついた」

「嘘つきは悪だ」

「あいつは悪だ!」

「俺は嘘をつかない」

「嘘をつかないから善人だ」

「悪は善の敵である」

「あいつは俺の敵だ!」

「悪は正されるべきである」

「善である俺には悪であるあいつを正す権利がある!」

 

 

この「All or Nothing」

鬱の人・鬱になりやすい人もやってしまいがちな思考です。

 

鬱になったからそういう思考になったのか

元々そういう思考をしているから鬱になったのかは

鶏が先か卵が先かになりますが。

 

鬱の人の脳って、かなり炎症を起こしていて

記憶を司る海馬や理性を司る前頭前野って部位が萎縮しています。

普通の人たちに比べると。

 

つまり脳の機能が低くなっているわけです。

 

脳の機能が低くなっているから

最も簡単な選択肢でしか物事を判断できなくなっているんですね。

 

そう二択です。

 

「生きるべきだろうか、死ぬべきだろうか」

 

になってしまうわけですね。

 

でも、世の中って全部が二択で決められるかっていうと

そうじゃないんですよね。

 

冒頭でお話したように

物事の原因は

内的要因と外的要因に分けることができます。

 

内的要因とは自分がもととなっている。

外的要因とは自分が介入できないものがもととなっている。

 

この二つが絡まり合って現象が発生しているわけです。

 

 

「全部私が悪いの!」は

あらゆる現象が内的要因にあると思っているということ。

 

でも「全部私が悪いの!」って考えを持つということは

自分が介入できない外的要因も自分の力でどうにかできるって

思っているということですよね。

 

はたしてあらゆる外的要因にも

自分で対処ができるのでしょうか?

 

「私にも悪いところがあったけれど

私にはどうしようもできないこともあった」

 

「私にも問題があったが

その他の問題点としてはあの人のこういう点にあった」

 

このように

内的要因と外的要因を分けてはじめて

自分には何ができるのかがわかるのではないでしょうか。

 

 逆に「全部私が悪いの!」って思っている人は

自分を責めるだけで

自分にできるはずの改善ができていないことが多いんじゃないかなと。

 

全部自分が悪いと振り分けてしまっているから

自分にできることは何かという判断ができていない

 

最初のAさんのたとえ話で言うと

Aさんが事件のあとするべきことは

通り魔の特徴を伝えて警察に伝えて

再犯を犯させないようにすることですよね。

 

自分が全部悪いと責めるだけでは

他の誰かが自分と同じ目に合うかもしれない。

 

また、自分が通り魔にふたたび遭ったときはどうすれば良いか。

 

通り魔に遭わないように勘を鍛える!!!

 

これはちょっと非現実的ですよね。

通り魔に遭遇するかは

自分が介入できない外側の要素が原因となっているので。

 

だから

護身術を覚える、武術を習う……などなど

が現実的な対策ではないでしょうか。

 

事件を起こさないことに自分が働きかけられないなら

起こった場合にどう対処するかを考えるしかないですよね。

 

自然災害だって

地震を起こさない! 地震に遭わないようにする!

ではなく

地震が起こったときはこういう対策をする!

ですよね。

 

 

「全部私が悪いんです!」ってすごい善人に見える思考ですが 

自分は何ができるのかを考えないから改善ができないんですな。

 

同じことを起こさないために自分にできることは何なのか?

 

それを考えるためには

物事を内的な要因と外的な要因に分ける必要があるのではないでしょうか。

 

 

……ちなみに二択でしか判断できない人ってのは昔の自分も含まれていますね。

 

どうぞよしなに。

 

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