オルタナ~神に選ばれなかった者~-2-
何が起こったのか、とっさにわからなかった。
砂利に叩きつけられた痛みが襲いかかってくる。
視線を横にすべらせ、目に移ったのは――。
黒髪に、黒曜石の瞳。黒装束。
そして、木漏れ日に照らされ鈍く光る刃。
「痛い思いをしたくなければ大人しくついてこい」
――もう十分に痛い思いをしているっ!!!
「っ…………」
もがこうとして、後ろ手につかまれていた腕をひねられ悲鳴を上げた。
『――ねえ、そういえば聞いた?』
瞬時に記憶が駆け抜けていく。
『人さらいだろう?――』
●●は目を見開いた。
まさか、と思った。
『不適合者(アヌマギア)だけが――』
人々の口上にのっていた噂。
不適合者(アヌマギア)だけを狙った人さらい事件。
いままさに自分がその事件に、その犯人に遭遇しているとでも言うのか。
さあ、と一気に血の気が引いていった。
ここには、この男と自分以外、誰もいない。
この森はそう人が多く通る場所ではない。
助けを求めて大声を出しても、助けてくれる人など現れようがない。
家まではまだ遠すぎる。
『だったらあたしたちは心配いらないね』
……不適合者(アヌマギア)が一人消えたところで、誰が助けてくれる。
あはは、という笑い声が頭の中でこだまする。
ぐい、と男に腕を引っ張られる。
お父さん、お母さん――!!!
男に無理やり立ち上がらせられようとしたときであった。
砂塵が巻き上がる。
なんだ、と思う間もなかった。
黒装束の男の身体がいきなり横に大きく吹き飛んだ。
「いけない、いけない。
ある日森の中、出会ったのはくまさんじゃなくて人さらいだった、ってわけだ。
物騒だねえ、危ないねえ。こわいこわい」
ざり、と粉塵の中から厚底のブーツが現れる。
ざらついた木肌の杖(ロッド)。
ふわりと舞い上がったフードからのぞくのは、くせのついた赤髪。
砂塵がおさまるにつれ、その姿があらわになる。
「大丈夫だった? いまのうちにスタコラサッサッサノサと逃げないと危ないかもしれないよ、お嬢さん」
目の前にしゃがみこんだその人は、にこりと笑った。
その笑顔は、まるで猫のようであった。
自分をどう見せれば人間を手玉にできるか、自分の愛らしさも含めてすべて理解しているかのような表情のつくり方であった。
「お嬢さん」と言ったその人は、自分とそう年の変わらなそうな男の子であった。
十字架に似た象形模様の入った黒いローブ。
アカデミーの人間だ、と瞬時にわかった。
魔道に特化した学問を受ける特別修養機関に所属している人間。
手にしているのは、自分が望んでやまない、けれどけっして手に入らぬ魔道具。
「まったく、君はどうしてそう突っ走るんですかね。
いきなり人に向けて魔道の力をぶつけるなんて、罰則をもらっても知らないですよ」
「人に刃物をつきつけて無理やり引きづりまわそうとしている輩なんか、ご丁寧な扱いしたって仕方ないだろう。
だいたい、こんな人のいない森の中でだれが目を光らせてるって言うんだ。罰則なんてクソくらえ」
「いまの言葉、学長に報告しておきましょうか」
「ぬかせ、そうしたらあんたも同罪だからな」
赤髪の男の子の後ろから現れたのは、同様のローブをまとった金髪の青年であった。
柔和な微笑みを浮かべて優しそうだが、どこか気が引ける雰囲気をまとっていた。
――この人たちが助けてくれた?
「ありがとうございます」
そう口にしたかったのに、自分の口からは「あ、あ……」と意味をなさない音が出るだけであった。
自分で思った以上に相当腰が抜けてしまっていたようだ。
口があえぐように動くだけで、うまく言葉が出ない。
「く、そ……」
うめき声が聞こえて、思わずはっとそちらを見る。
地面に倒れ込んでいた黒装束の男がむくりと身体を起こす。
黒髪からのぞく瞳は怒りでぎらりと燃え盛っていた。
「邪魔立てしてくれたな……」
「そりゃ、刃物を持って人に襲いかかっている輩がいたら邪魔するでしょ。
まして図体のでかい男が華奢な女の子につかみかかっていたんだよ。止めるでしょ、フツウ」
「……ここ最近、街からぽつりぽつりと、人が消えている事件。ご存知ない、わけはないでしょうね。
ちょっとばかり、と言わず、とても詳しくお話願いたいので、ついてきていただいてもよろしいですか」
魔道具を構えている二人を見て、黒装束の男がちらりとこちらを見た。
思わずびくりと身を震わせる。
男はチッと舌打ちをしたかと思うと、瞬時にその場を飛びのいた。
「あ、おい! 待ちやがれ!!!」
二人が追いかけようとした瞬間、小さな稲妻のようなものがその空間を走った。
突き刺すような爆音と閃光。
目を開けたときには、男の姿はどこにも見当たらなかった。