落合陽一さんの『0才から100才まで~(ry』って本がすごくおもしろくてためになった
落合陽一さんの本
『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる人と育てる人のための教科書』
の中に
自分にとって刺さる内容があったので記しておきます。
アート鑑賞について書かれた章が
自分がずっと抱えていたわだかまりを解消してくれました。
アート鑑賞ってのは
前提知識を披露する場じゃないよって書かれていて。
じゃあ、何をするかというと
その作品を見て自分が何を感じて考えたか。
それをロジカルに言語化すること。
これが大事だよーと書かれていました。
多くの人がやってしまいがちなのは
自分が学んで知っている知識を確認する行為だと。
アート鑑賞が
自分の知識と正解を突き合わせる場になっているとな。
「僕は云々だと思うねえ。この作品をつくったとき作者は云々で、だからこの作品には当時の作者の云々な感情が込められているから云々な感覚を鑑賞者に抱かせるんだよ」
みたいな。
昔、自分が読んだ本の中に
人間にとって大事なのは教養があるかってことで
教養がない人間は野蛮人と同じだ
って書かれたものがあったんですな。
その当時は学生で
「そっかー教養大事なのか……」
と思ってひたすら文学を読み漁ったり美術館や博物館に足を運んだり。
でも全然楽しくなかった(笑)
知識学ぼうとしてもぽろぽろこぼれ落ちてしまうし
作品を鑑賞しても「ぼへー……よくわからん」
みたいな感じだったので。
「正しい鑑賞ってわからない……」
「うまい作品の鑑賞ができない……」
「作品を見ることに本当に意味があるのか……」
って悩んでいました。
思えば当時は
正解からはみ出ることに恐怖心があった気がいたします。
完璧主義が強かった気がします。
失敗が怖い。他人からの評価を恐れる。
あと知識が定着しなかったのも
自分の思考や興味関心、知識と紐づけできていなかったからなのかなあと思います。
落合さんの本を読んでうれしかったのは
作品を鑑賞する際に正解にすがらなくても良いんだなと思えたこと。
自分なりの感じ方や考え方を持って人に披露して良いんだなあと。
おかげでひさしぶりに美術館と博物館に行きたくなり。
口頭での言語化はまだ苦手なので
ノートとペンをもって筆記してみようか。
それとも独り言をぶつぶつ言ってみようか(笑)
これからはアート鑑賞が楽しめそうな気がいたしまする。
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アート鑑賞
→鑑賞力→観察力
→発見
→言語化(→建設的な議論)
→表現