英語多読本で『透明人間』、中国語は単語帳をちまちま再開

最近、なんとなーく

やる気が戻ったような戻らないような感じで

英語の多読用本を数冊買い。

 

『Wonder』は読み終わり

いまはペンギンリーダーズ

『Invisible(透明人間)』を読んでいます。

 

オックスフォードのシリーズで一度読んだことがあり

レベル3ということもあり

読みやすいなあ、と。

 

レベル3が読みやすいと言えるようになったよろこび。

 

 

あと、とある

同人漫画家さんの

どうやって何年も一定量の漫画を描き続けられたか

という話を見て

そのやり方をまねて中国語単語帳を再開。

 

ポイント制。

単語帳開いただけで5ポイント

などなど

自分なりのルールで。

 

ちょっとモチベ上がりました。

 

今日は2課分やったぞー!!!

 

キクタンの初級編。

 

 

あと

中学時代に聞いていた

中二病ソング(?)をひさしぶりに聴いたら

むかしハマっていた好きなゲームのキャラを思い出し

ドイツ語も勉強やりたいぜー!!!

という気持ちが再熱。

 

公式の設定にはないのですが

勝手な連想ゲームで

そのキャラはドイツ語も中国語もできるはず!

だから私もできるようになろう!!!

と学生の頃思って語学学習したくなっていたので

その気持ちがよみがえる。

 

オタク魂。

 

 

では、また次回。

インフルエンサーの信者ビジネスにかかっていたんだな【ノブレス・オブリージュの大切さ】

去年まで

いまでいうオンラインサロンのようなものに

所属していたのですが

あれって

インフルエンサーの信者ビジネス」

だったのかあ、と最近知るにいたりました。

 

去年まで、といっても

おととしあたりから

もうやる気がそこまでなくなっていたのと

他会員の人とのトラブルをきっかけに

もうやめていたのですが。

 

 

最近ふと所属していたそこの情報が

ネット上で上がっていて

解説している人もいたので見てみたところ

「あーたしかに」

と思うことがたくさんあり。

 

やめたからこそ見えてくるものがある。

 

自分の場合は

前職辞めて鬱まっさかりで

どうにか鬱を治したいと思っていたときに

良いコンテンツがそこにあったので

会員になったのですが。

 

そこで学んだことがきっかけで鬱が治ったのは事実だし

色々学びが広がったのはたしかなので

何とも言えないのですが。

 

ただそこにずっと所属しているのは

どこか苦しいなあという自分の体感があったり

オフラインで会って仲良くなった他会員の人の

人を見下したりとか

弱者を切り捨てていくのを良しとする風潮とか

選民思想っぽい雰囲気とか

キラキラした自分の姿だけ前面に見せる感じとか

 

色々「うわぁ……」と思うことが増えていったので

辞め。

 

ただそこに染まっていたときの自分ももしかしたら

そんな感じだったのかなあ、と思ったり。

 

自分の場合は

セラピーを受けてトラウマから解放されていたのと

いまの職場の人たちの優しさとか

その人たちの幸せの在り方を知って

「あれ、なんか違うんじゃない?」と新しい価値観を

インストールしていた最中だったので

過去と新しい価値観が拮抗しながら

人間観トラブルに後押しされ辞めました。

 

 

最初に会員になった頃は

そこも発展途上中という感じで

インフルエンサーにあたる人も

一緒に勉強していくという感覚があっておもしろかったのですが

 

だんだん発展して会員が増えていくにつれて

だんだん教祖と信者っぽい感じとか

高圧的な態度に拍車がかかっていったり

 

もう幽霊部員になっていた頃から

マウント的な情報発信も増えていったり

 

独自のプラットフォームができたのも

会費を払ってちょろっとのぞいたのですが

コンテンツもあんまり面白味を感じなくなり。

 

辞めてからふとしたおりに

その人発信の情報を見たとき

「あれ、この人の情報まちがってへん!?」

「あんなに情報をちゃんと調べない人間は情弱と

マウントとっていたのにあの情報見てないのか。

え……私の調べた情報が間違ってるの……?」

「待て待て、論文ですでにあの情報出てるはずなのに

そんなこと言うのか、え? どういうこと???」

「影響力が強い人がその世代の人たちにそれ言ったら絶対アカン!!

まずいやろ!!!

……え、でもこの人がこう断言するってことは……うーん……」

 

と辞めてからもその人発信の

情報の質の高さは信じていたのですが

(そもそも辞めたきっかけも

自分はついていけないな、と思っただけであり)

 

色々違和感を覚えていたところで

あることをきっかけに

そのインフルエンサーの人の言っているコレコレの情報は間違っている

と専門家の人が解説している動画を見て

ついでにそのインフルエンサーの人の

ビジネスの在り方を解説しているのも聞いて

「ああ……なるほど」

と。

 

インフルエンサーの信者ビジネス」

というワードでくくれるんだなあ、と。

 

インフルエンサーの信者ビジネスは

宗教と構造がものすごい似ている。

 

窓口は無料で入りやすくしておいて

入ってからが有料コンテンツ。

 

だいたい独自のプラットホームを用意してあり

そこは外からは見えないようになっている。

外側からの批判が入ってこないから賛同の声ばかりが強くなる。

だからより

「この人はすげー!」

「ここのコンテンツはスゲー!」

となる。

 

達成しやすいように

ハードルの低い目標や行動指針を用意しておく。

 

「これのおかげで自分の人生は前よりもよくなった!」

と思わせておく。

 

けれど絶対自分(教祖)よりも上にいけるような

優良なコンテンツは出さない。

そもそもその優良な情報を出して

大勢の人が知った時点でその情報の価値は下がる。

 

と色々解説を見る。

 

自分も

「あれ……?」

と思ったことがあるのですが。

 

ほぼ幽霊部員のときに

オフラインの集まりに参加したのですが

そのときに会った会員の人たちは

抑鬱傾向の人が多かったんだよなあ、と(^^;)

「なんでか最近&去年よりメンタルが……」と。

 

元々そういう傾向がある人たちだとは思うのですが。

 

 

おそらく会員の中で表に出てこようとする人たちは

がんばっている人たちなんだけれど

いやむしろがんばっているからこそ

 

コンテンツのおかげで

最悪の状態からは良くなった

前の冴えない自分よりはすごくなったから

「ここのコンテンツはすげー!教祖すげー!」

となり信者化が強固になるんだけれども

 

コンテンツを常に見ているから

「もっと成長しなきゃ! 上を目指さなきゃ!」

と自分の本音をねじ伏せてがんばるから

「なんだか最近メンタルが……」

となるんだろうなあ、と。

 

「最近メンタルがおかしいからあのコンテンツで!」

「前はそれでよくなったんだから!」

「よし!よくなったからまた頑張って成長して……」

とループするんじゃないかな、と。

 

 

そういえば

前に先生と話したときに

「自分のことを助けてくれた、救ってくれたからといって

その人が必ず良い人、信じて良い人とは限らない。

あきらかにこの人ヤバいでしょって人でも

自分のことを救ってくれた過去や現状があると

違和感を感じつつも

なかなかこの人ヤバイ人だって気づけないから

ずっと信じてその人の下にいてしまいがち。

ちゃんと自分の体感を信じた方が良い」

という話を聞き。

 

高校生の頃お世話になった恩師からは

「弟子は必ず師匠からは卒業するものなんだよ。

いずれ独り立ちしなきゃいけないときが来る」

という話を聞いて

それを胸にその人とはお別れしたのですが

 

その所属していたオンラインサロンのようなところで

教祖の人は

去っていく会員がいると

「ここのコンテンツは最新で選りすぐりのものを発信し続ける。

わざわざ去っていくのは馬鹿としか思えない」

といったような

ものすごい攻撃的な言動が出ていて。

 

「この人自分が批判されたようで怒っているんだろうなあ」

「そういうトラウマが強いんだろうなあ」

と思いつつも

「弟子はいずれ巣立つものだし

巣立って自分の力で生き始めるのを師はよろこぶべきでは?」

との思いもあり。

 

やっぱりそこが信者ビジネスだったからだろうなあ、と。

そりゃ会員がずっといた方が

自分の金につながるし

自分の承認欲求も満足するよな、と(^^;)

 

 

あのオンラインサロン(?)に所属する人の幾分かには

親へのトラウマがあるんだろうなあ、と勝手に想像しています。

 

高圧的な言動で去ることを許されない

歯向かうこと・反論を許されない

この人に評価されるためにがんばらなきゃいけない

系統の親子間のトラウマを抱えているから

 

その親像をあの教祖の人に投影して

所属し続ける・がんばり続けているんだろうなあ、と。

 

だから親を投影しているあの人から

「こういうことをする人間は馬鹿としか思えない」

普通だったら

「お前にそんなこと言われる筋合いないわ!ボケェ!!

こっちからてめえのとこなんざ去ってやるわ!!!」

と思うようなことを言われても

「ああ、どうしよう。自分も見捨てられないようにがんばらなきゃ」

「私もあんな風に怒られたらどうしよう!!!」

「私はあなたの言うことをちゃんとこなす良い子ですよ!」

「この人に評価されるためにがんばらなきゃ」

となってしまうんだろうな、と。

 

そんな妄想。

というか

自分がそんな感じだったからなあ、と。

 

 

どこかでまだあの人はすごい特別な人だ

という意識が拭えていなかったのですが

インフルエンサーの信者ビジネス」

という言葉で括られたのを見て

「あ……あの人もただのインフルエンサーの一人だったんだ」

と認識が変わる。

 

いや、十分インフルエンサーになれることも

ビジネスで稼げるのもすごいことなんですけども。

 

どこか特別視していた。

というところが洗脳というかミソだったんだなあ、と。

 

 

自分が信じてきたものが崩れるというのは

おもしろい瞬間

と同時になんともいえない感覚。

 

 

高校の頃の恩師との出会いがなかったら

もしかしたらあそこに所属し続けていたのかもなあ

との思い。

そもそもその前にもっと暗い人生送っていたり

いま存在していないなんて事態になっていたかもしれませんが。

 

スゴイ人は5年とか10年先にも芽吹く言葉を残してくれるんだな

と同時に守られたなあ、と。

先生の大きな包み込むような愛に守られたんだなあ、と。

 

あの時の師弟関係があったから

いまの自分がいるんだなあ、と。

 

利他の教え

ノブレス・オブリージュの教えをいただいたのは

とてもありがたきことだったなあ、と。

 

昏い欲望は

たしかにあるのですが

それでも他の人も幸せであるとか

他の人の幸せのために動ける自分がいた方が好きだな、と。

 

 

では、また次回。

英語多読本のレベル3『Wonder』を読んで理解

なんでか英語の本を読む気になりだして

いま

ペンギンリーダーズから出ていた

『Wonder』を読んでいます。

 

水色の背表紙に

キャップを被った片目の男の子のイラストが印象的な本。

 

原本をためしに立ち読みしたときは

「むずかしすぎてこれは読めんな……」

と購入をあきらめたのですが

今回は多読用のレベル3に抄訳された本なので

だいぶ読みやすいです。

 

半分くらいまで読みました。

 

学校での主人公の友情や差別が描かれており

胸がぎゅっとしまります。

 

自分の学校時代も人間関係で不遇な面があったり

仲の良い人がそういう目にあったりも見てきたりしたので

当時のことを思い出して

なんだか気持ちが落ち込む。

 

おそろしい沼だぜ……っ。

 

でも!!!

 

英語のレベル3がラクラクと理解できるのはうれしい。

知らない単語はちゃんと案内が書いてあるので理解。

 

ちゃんと自分は成長しているんだなあ、と。

 

レベル4、5、6あたりは

もしかしたら多聴の方がいいのかもしれませんが

どうも多聴はあまり楽しめません。

 

レベルが簡単すぎるとゆっくりすぎて

聞いてて意識が飛んだり眠くなったり。

むずかしいレベルは

理解があまりできない。

 

以前の記事では多聴もレベル3くらいが限界

と書いてあった気がします。

 

レベル4、5、6がスラスラレベルになってくると

TOEICに有利と聞きますが。

 

くぅ~。

 

確実に成長してきた。

でもまだまだ上はある。

 

のんびりと、生きる。

 

 

では、また次回。

英語多読400万語手前でゆる~く再開~低年齢層向けの児童本がおもしろい(+中国語もね!)

英語の本が

読める人も

そうでもない人も

こんにちは。

 

最近なべでお米を炊いている管理人です。

 

ついこの前

ひさしぶりに洋書書店に行き

英語の本を何冊か買ってきました!

 

おそらく6-9歳くらい向けの本。

小学校低学年向けの児童本です。

 

買いだめしていたYL5の本を読んだら

「うーん、なんかむずかしい、つまらん……」

となったので

簡単な内容のものを漁る。

 

YL5の学習者向け本は

英文は理解できる箇所はあるけれど

長すぎてつまらないというか。

 

ストーリーに興味がないのか

長すぎてすぐに達成感が味わえないからか。

 

とにかく読みたくないな、と。

 

ただ、最近は多読自体

やる気がそんなに起こらないな、と。

 

元々ものすごいモチベが高かったわけではなく

劣等感を拭うために無理やり自分を奮い立たせていた感じなので。

 

「英語ができるようになれば

自分にもなんか取柄ができるんじゃないか」

「ぱっとしない負け犬人生に終止符が打てるのではないか」

という気持ちが薄らいだことで

のんびーりとやっています。

 

 

いま何万語積み重ねたんだろうな、と。

400万語はぎりぎりいっていないかなあ、と。

 

前回の計測時は330万語で

そのあとの記事で目測で350万語いっとるやろ!

という文があったので

350~400万語の間かな、と。

 

パートナーが

英語ができる&映画趣味の人なので

月に何回か洋画字幕視聴を一緒にしており

そういった英語の触れ合いはあり。

 

去年よりは全然英語学習していませんが

まあまあ英語に触れてはいるのかな、と。

 

 

英語できたらいいなー

くらいの

のほほんとした気持ち。

 

ゆるやかに生きていく。

 

P.S.

そういえば

台湾語版の漫画も一緒に購入したら

ところどころ理解できておもしろいなあ、と。

 

中国語とは

繁体字簡体字かくらいの違いで

だいたい似ているので。

繫体字を簡体字に脳内変換。

 

ドラえもんはむずかしくて読むのをやめたのですが

鬼滅の刃はけっこう理解できました。

 

英語版の漫画を買ったときは

ものすごい疲れて

あまり読めなかったのですが

台湾語(中国語)版の漫画は読みやすい。

 

おそらく

漢字は視覚情報で意味をとれる文字で

イラストと相性がいいからというのと

元々日本の漫画は縦読みに即してつくられているから

だろうなあ、と。

 

鬼滅の刃はなんとなく

ストーリーや台詞を知っているので

意味を類推しやすいのと

単語帳で勉強した単語がけっこう出てきたので

わかりやすかった。

 

あと、もういっこの

昔の中国歌人を仙術使い化した

文豪ストレイドッグスみたいな漫画も

まあまあ理解。

 

中国語は

単語帳でちょくちょく勉強しつつ

漫画中心に気楽にやっていくのが

楽しそうやな、と。

 

 

では、また次回。

いまの自分を大事にして居心地よくある

その人が幸せである

居心地の良い状態である

っていうのが

一番大事だよなあ

と最近ことに思います。

 

ネットの情報に触れていると

「あ、がんばんなきゃ」

「なんかやってない自分大丈夫なの?」

と明確な理由のない焦りが生まれてくるのですが。

 

「FOMO」

(fear of missing out )

という言葉があるようです。

 

自分だけ周りから置いていかれるんじゃないか

取り残されるんじゃないか

と恐怖心に苛まれて

過剰に周りに合わせようとがんばってしまうこと。

 

過剰適応

という言葉で表されるようですが。

 

周りに取り残される恐怖心。

からくる焦り。

そして過剰に自分を奮い立たせてがんばる。

そして疲れてしまう。

けれどそのサイクルから抜け出せない。

自分がどんどん疲弊していってもやめられない。

 

少し前までの自分がそれだったな、と。

 

先生と話していると

「いまの世の中で出回っている情報は

8、9割ががんばんなきゃいけないような

気持ちにさせられるもの。

でも、自分が居心地が良いと思うのは

別の1割の方なんでしょう。

惑わされないようにね」

と。

 

自分の軸を失わないように舵をとる。

 

 

『幸福になりたければ幸福になろうとしてはいけない』

というタイトルの本を

読んだことがあるのですが

もう中身は忘れてしまった。

 

幸せな状態であることを求めると

「まだ自分は幸せじゃない」

「自分本当に幸せなの?」

と現状のあら捜しに向かいやすくなって

逆に幸福度が下がってしまう

という話だった気がします。

 

 

でも、幸せになりたい

という気持ちは持っていてもいいよなあ

と思います。

 

つまるところ

マインドフルネス。

自分の感覚を大事にしていくことですが。

 

幸せになろうとすると幸せから遠ざかる

というのは

自分の外側の基準に照らし合わせた幸福を求めようとするから

だろうなあ、と。

 

これを買えば幸せになる(だろう)

これを持てば幸せになる(だろう)

これができるようになれば幸せになる(だろう)

 

という未来予測に基づいて行動するから。

 

 

でも

自分の内側の声を聞いて

自分の感覚を大事にしていくと

 

「あ……いまなんとなく幸せ」

「あー居心地いいな」

 

と「いま」に感覚が向くから

幸せを感じやすくなるんだろうなあ、と。

 

 

自分の場合

ネットの情報の海に自分から飛び込んで

ふと

「このままで大丈夫なのか」

と焦燥にかられるときというのは

 

(ネット上の)

この人みたいに

不特定多数から

「スゲー!」って

思われたいなあ

という欲求が根源にあるんだなあ、と。

 

 

ダラダラといまの幸せを噛みしめたい

と思って過ごしているのも自分。

そんな中でも

不特定多数から「スゲー!」って思われたい

と願望を持っているのも自分。

 

いまは

そんな自分だっていいんだよ。

 

と自分を抱きしめる(*´ω`*)

 

 

とりあえず

 

ダラダラとして自分を大事にしながらも

英語の本読んだろ~

英語の多読したろ~

と。

 

 

では、また次回。

自分の体癖のこと「まさかの上下型1種?」

先生のブログ見て

「実は私も本屋行くとトイレに行きたくなる」

って話をしたら

じゃあ上下型だね、と。

 

え、マジか。

と目が点に。

 

整体受けていると

腰椎一番の変動が出やすいってことからも

そうだろうと。

 

見た目は4種ぽいらしい。

ふふ……

だからねじれ系の男に絡まれやすかったのか

なんて思ったり。

 

 

お腹も特段壊しやすいとか

痛くなりやすいとかもないなら

2種じゃなく

1種なんじゃないか、と。

 

えー!?

と、驚き。

 

整体かじった兄からは

5種って言われたけど

自分で最近

「5種はないやろ……」

「自分そんなハツラツとしてないし

偶数系なんちゃう……?」

と思って色々再考していたところ。

 

でも、まさか1種とは予想外。

 

大脳昇華型、頭脳タイプだったとは。

 

 

そんな頭が働くタイプだったら

学者とか研究者とか

もっとなれたんじゃない?

と。

 

ものすごい勉強好きって感覚もなし。

 

 

ただ、一応学生の頃は

成績も良い方で良い子ちゃんの優等生タイプ。

勉強できたらカッケー!

と思ってたし。

メンタル病み子になったのも

理性で感情を処理しようとしてたからだろうし。

 

うーん、なるほどなあ、と。

 

まあまあ

色々腑に落ちることはある。

 

 

兄からやたらマウンティングされて

攻撃的な態度とられてたのは

そういうことだったんかな、と。

 

徹底的に馬が合わんな。

 

 

1種なのに

5種と思い込んで行動してたら

そらつらいわな、と。

 

1種は人と距離をとりたがるから

SNSでは特段疲れやすい、との話はとても納得。

 

高校生の頃にケータイ持ってからも

友だちと連絡するのがめんどう。

いまもLINEとか疲れるから使ってないし。

アカ作っても結局使わなくなってアンインストール。

 

自分からチャットをはじめても

ものすごい疲れて嫌になってやめたくなる。

対面のコミュニケーションは好きだけど

SNSのやりとりがものすごく疲れて嫌。

 

だから当ブログでも

コメント機能オフにしてるし。

 

人と関わりたくないわけじゃないし

相手が嫌いとかいうわけでもないんだけど

オンラインでチャットでやりとりするのが

ものすごく疲れて嫌。

 

1種は愛着スタイルでいう

回避型になりやすいんちゃうかと(笑)

 

 

上下型は意外と

感情優位の左右型と合いやすい

っていうのもあり

なんとなく

過去を振り返ってわかるなあ、と。

 

大人しいのに

きゃぴきゃぴした子とつるんでて

不思議な組み合わせ

と先生から言われたり。

 

うーん、なるほど、と。

 

 

いまよりも

未来に頭が働きやすいから

先の心配をしたりしやすい

というのも納得。

 

ペット飼うときも

飼う前から

死んだ後の処理のこととかで悩んだり。

 

ものをつくるときも

処理のこととか考えて

やる前からどうしようか悩んだり。

 

計画を立てるのは得意だけど

それだけで満足して実行しない傾向がある

というのも納得。

 

だから学習も計画立てないで

行き当たりばったりが自分には向いてんだな、と。

 

 

先生からは

1種だから自分に合った頭使う系のことをすると

逆にリラックスできるんじゃないか、と。

 

たしかにマンガを読むとものすごい元気になります、と。

 

ひさしぶりにKindleでマンガをたくさん読んだら

たのしーなーと。

 

 

先生と話していて

「でも文字を書くときはノートとかななめにしないと

字がまっすぐ書けないから

ねじれは入ってるんじゃないかと」

と言ったら

「あんまねじれ感じないけどねえ」

と。

「え!?」

「うーん」

と。

 

ただ、そのやりとり終わって

ふと。

 

「そういや学生の頃まではそうだったけど

いまは書類まっすぐにしてても字がまっすぐ書けんな」

と。

 

どういうことなんかな、と。

 

今度会ったときにまた

話してみようか、と。

 

 

オータさんにこの感動を話したら

「あくまでそれは先生の見解やろ」

と冷静に水を差され(#^ω^)オイ、コラァ

と。

 

いまのところ

上下型1種が濃厚というお話。

 

では、また次回。

【雑話】資格取得や仕事のこと

夏の突き抜けるような青い空が

好きな人も

そうでもない人も

こんにちは。

 

パンをもぐもぐしている管理人です。

 

職場からすすめられて

昨年から受講をはじめた資格試験が

ようやく終わって

修了書の申請を出すところ。

 

うまくいけば実習自体は昨年で終わったのですが

そのときはメンタルを色々崩しかけていたので

今年にずれ込み

座学的なテストもだらだらとやっていたので

一年ちょい経って

ようやく完了。

 

やったー!!

おわったー!!!

 

給料上げたいと思って

申請当時はやる気満々だったけど

実際やると

学習内容に興味が持てなすぎて

ダラダラしてしまった。

 

こういうときに

自分のモチベは発動しないんだなあ

と実感。

 

国から指定されているという実習に関しては

教科書に書いてある内容を

ほぼ丸写しで講師が板書する時間がほぼ半日。

それが6日間ほど。

 

よく小中高の頃こんな授業耐えられたな

といまになって思います。

 

いまの職場はほぼフルで

動きまくって喋るので

座学で8時間近く

黙ってじっとしてるとか

苦行すぎる。

 

生徒が能動的に学ぶ

アクティブラーニングの本を読んだことがありますが

その方があきらかに学習効率いいよな

といまになって思います。

 

学生の頃は

人と喋るのだめだったので

当時それをされたら苦行だったとは

思うのですが。

 

日本の板書中心の授業は

学習的にはどうなのかなぁ、と。

 

ゆうて他国のもんは知らんですが。

 

でも終わったどー!!!

 

 

と、資格講座の受講が完了したのはいいのですが

転職できるように備えた方がいいのかなあ、と(!?)

思うことが最近ちょくちょくあり。

 

 

伍(5)陸(6)漆(7)の影響が職場でも

出始めており。

 

直接的影響はまだないのですが。

 

業種的に対策はちゃんとしなきゃいけないのはあり

去年から色々対策強化やバタバタはありましたが。

 

いよいよペーセーアールの定期的強制が入ることになり。

 

謳い文句に

「みなさまにも安心していただけるかと(ry」

とあったけれど

職員みな安心どころか戦々恐々としているのですが。

 

一人でも出たらアウトだし

「もし自分が……」という思いで

みんな不安気。

 

しかも定期の頻度が高すぎて

ヤヴァすぎる。

 

 

ネットで色々見た限り

ペーセーアール自体は良いものだけど

今回の件で使うのはどうなの

とか

使うにしてもいまのやり方はどうなのよ

というのはけっこう早い段階で言われてたみたいやし。

 

しかもお米さんが

年末にはもうそれを別の方法に変えるとか

情報も出ているのに

どうなんだ、と。

 

情報が錯綜しているから

何がどうとか言えないですが。

 

職場内ではそうでもないのだけれど

伍陸漆関連で上からの控えめな圧力も

かかってきているような感じ。

 

じわじわとせまってくる同調圧力

 

 

自分の在り方、心の持ち方とかが試される機会だなあ。

 

 

と。

 

 

では、また次回。