【英会話】相手によって理解度が変わることを痛感

英会話をいろんな人としてみました。

 

同じ英語でも

相手の母国語が何かによって

リスニングのしやすさが

すごい変わる。

 

スパニッシュ系とイタリア系の英語は

すごい聞き取りやすい。

 

非ネイティブだから

言い回しも簡単なのをたくさん使ってくれる。

 

けれどフランスなまりや

ネイティブ英語は本当に聞き取りにくいな、と。

 

あと、相手のパーソナリティにもよるな、と。

相手の様子を見て

ゆっくり話してくれたり

言い方や話の流れを変えてくれる人は

本当に会話が弾む。

 

もっと理解できるようになりたいし

自分からたくさん話せるようになりたいな、と。

 

 

一番相性がよかったな、と思った人と話しているときは

全然英語ができない人も一緒にいて

「いま、なんて言っていたんですか」

と聞かれて

日本語に要約して伝えることができ。

 

「すごい、英語できるんですね」

と言われうれしさがじわじわ。

 

2、3年前の自分がそこにいる気持ち。

 

自分にとっては

「この人の英語めちゃくちゃ聞き取りやすくないか?」

という感覚だったので

すごい成長できたんだな、と。

 

脳に英語回路ができてきた。

 

 

でも

相手の言ったことを理解して

日本語に直して要約して伝えるのは

けっこうできたのですが

「これって英語でなんて言うんですか?」

と言われたときに英語に直すのはすごい大変だったな、と。

 

日本語は伝えたいことがふわふわしているというか

元々の日本語文があまり英語にないニュアンスのものだと

「えーと……」と意訳をかなり考えねばならず。

 

通訳って大変なんだな、と。

 

でも英日の通訳ができたのは

とてもうれしかった経験。

 

 

では、また次回。

ひさしぶりに英会話したら、7、8割くらい聞き取れた

英会話をしたことが

ある人も

ない人も

こんにちは。

 

やきそばをつくっている管理人です。

 

よーし、ちょっくら英会話やるか。

というわけで、ひさしぶりに挑戦。

 

けっこう聞き取れました。

 

スパニッシュ系の英語で

おそらくわかりやすいように

言ってくれているとは思うのですが。

 

大意は理解。

詳細も、中段階くらいは

けっこう聞き取れていたような感触。

 

アウトプットの方は

そもそも気心がある程度知れた人じゃないと

あんまりぽんぽん話せないので

ちょくちょく言いたいことは言えた、くらい。

 

日本語ネイティブとしての素の自分と

同じようなアウトプット量だな、と。

 

英語は出身によって

かなり聞き取りやすさが変わるので

わかりませんが。

 

前よりも

圧倒的に聞き取りはできるようになっているなあ、と。

 

うれしいこと。

 

 

家に帰ると

頭の側頭部がつかれているので

けっこう頭使ったのかな、と。

 

言語理解をするためのウェルニッケ野

側頭葉にあるとのことなので

納得。

 

楽しい、楽しい。

 

ネットで英語のオーディオブックを聞いていると

あんまり側頭葉疲れた感じにはならないので

それだけ集中できていたのかな、と。

 

 

では、また次回。

『サンピエストロ王宮』―革命前夜― とある……による道化戯曲

素直に自分の人生を生きていないのは

一体どっちだって言うんだ。

 

まったく成熟しきっていない

悲痛な泣き顔の上に

欺瞞に満ちた笑顔の仮面を被って

踊り狂っているのは

一体誰だっていうんだ。

 

素直になれだって?

素直に生きれていないのは

真実が見えていないのは

一体誰だって言うんだ。

 

この俺のことだと。

 

道化者の俺に対して

道化を演じるのはやめろだと?

それこそ滑稽な話だ。

 

俺の原色は道化者。

何者にもなれないから

何者にだってなれる。

何色にだって染まれる。

 

俺なんてあってないものだ。

ない俺を探し当てて俺の人生を生きろだって?

それこそ無理難題だ。

答えのないものにどうやって染まれって言うんだ。

 

素直になれず

他人の仮面を被りながら踊り狂う

道化者の人生を歩んでいるのは

一体誰だって言うんだ。

 

 

他人の足枷のついた仮面を被りながら

ひいこらして

称賛の舞台を渇望してやまない

愚か者は誰だって言うんだ。

 

 

世界に自分の居場所がない?

自分で殺し続けているだけだというのに。

 

 

赤子のように

そこに存在するだけでいいんだ。

ありのままの自分でいいんだ。

 

そうやって受け入れて

抱きしめてほしいと願っているのは

どこのどいつだって言うんだ。

 

そう思っているくせに

自分で自分に嘘をついて

 

がんばらない自分はだめ。

成果を出さない自分はだめ。

お勉強できない自分はだめ。

 

そうやって自分の首をしめて

休息の時間すら窒息しかけている

死にかけの魚は一体誰だっていうんだ。 

 

できるようになったら

世界から愛されるようになるとでも?

 

お前の親は

お前ができたところで、できないところで

昨日から今日にいたるまで

微動だにしやしないぞ。

 

お前が憎しみながら渇望してやまない存在は

お前がいくらがんばったところで

微動だにしやしないぞ。

 

 世界という名のマリアは

お前の母親そのものだろう。

 

鼻くそほどの一瞬の称賛がほしいとでも言うのか?

 

そんなことのために

お前の人生すべてをかけるのか?

 

赤子のまま、成熟しないまま

世界の中で踊り狂いたいのか?

 

いくら成熟の仮面をつけたところで

お前の幼さは露呈しているぞ。

 

赤子に大人のワルツを踊らせるなんて

なんとも残虐な行為をさせるじゃないか。

 

その手足は血豆だらけになって

いまにもちぎれんばかりだというのに。

 

自分で自分のその姿に気がついていないのか?

 

滑稽だ。滑稽だ。滑稽だな。

 

鏡でも見せてやろうか?

 

いいや、鏡をいくら見せたところで

わかりやしないだろうな。

 

お前の周りは

いつだって血まみれ道化(ピエロ)だらけだ。

 

いくら心の声がお前の胸をノックしたところで

真実に気づきやしないだろう。

 

真実を焼き切る早さで

血まみれ道化(ピエロ)どもは行進していく。

 

自分も踊らなきゃ

無観客のゴミしか残っていない廃墟の舞台に

取り残されちまう。

 

そう恐怖に打ち震える自分を押し殺しながら

毎晩、毎夜、欺瞞の笑顔を張りつけて踊り狂っていく。

 

日の当たる時間すら

お前にとっては地獄のような暗さで光るだろう。

 

朝も昼も夜も関係ないくらいに

道化の仮面をかぶって手足から血が噴き出るくらいに

踊り狂わないと気が狂いそうだろう。

 

血まみれ道化(ピエロ)に囲まれ続けたら

自分も血まみれになるほどに踊り狂わなければ

やっていけないだろう。

 

酒をあびるように

欺瞞に満ちたダンスを踊り狂って

そうやって時間をやりすごしているんだろう。

 

夜明け前は暗い?

 

だからその血まみれの手足も耐えきれると

本気でそう思っているのか。

 

夜明け前も何も

お前はいつだって

自分で自分の目を覆っているというのに。

 

目隠し道化(ピエロ)に

朝も昼も夜も、夜更けも夜明けも

関係ないだろうよ。

 

いつだって心の一部は

夜の薄暗さに沈んでいるんだろう。

 

どれだけの人間に囲まれても

女も男も関係なく漁りつくしても

心の一部はいつだって乾いたままだろう。

 

自分の血染めの手足で

握りつぶすように自分の心を抱きしめれば

その乾きが癒せるとでも思っているのか。

 

 

俺は自分を血で染めるのは

もうごめんだね。

 

踊るときは

自分の意思で踊る。

 

夜は寝るものさ。

 

王命だって

かまうものか。

 

俺の王は、もう死んだんだ。

 

いいや違う。

生きながら俺に命を明け渡してくれた。

 

もう存在しもしない

王命に振り回されて

踊り狂う滑稽な道化(ピエロ)にはならない。

 

 

だから俺はきっと明日

処刑されるだろう。

 

うまく道化を演じれば

明日の民衆にまぎれて

逃れられるやもしれないけれど。

 

誰にも

俺の明日の人生の答えなど

わかりはしない。

 

 

『サンピエストロ王宮』

―革命前夜― 道化者による戯曲

犬猫飼いたい……

犬や猫が

好きな人も

そうでもない人も

こんにちは。

 

ごまゆべしを味わっている管理人です。

 

 

最近、犬か猫が飼いたいなあ……

という欲求が絶えずあり。

 

癒されたい……。

家にいるときに癒されたい……。

 

ついには

ネットで犬猫可の物件を探してしまい。

 

まずは

ペットの生涯費用と

犬猫可の物件への引っ越し費用を

貯蓄してからの方がいいよなあ、と思い。

 

何かに応募して大賞とれば一攫千金か……

と途方もないことを考えたり。

 

一応、なんとなく生活していれば

いずれ貯蓄はできるだろう

というのはあるのですが。

 

就活していたときみたいに

差し迫った何かがないから

「飼いたいんだけど、むにゃむにゃ……」

というカンジ。

 

欲求はあるけど

行動にはつながらない。

 

芋ようかん食べたいのは事実だけど

電車を乗り継いで茶屋まで行くほどでは……

という感覚。

 

犬猫飼いたい……。

 

 

では、また次回。

「アリア放浪記」背徳のルチア

教祖は、偉大な方だ。

 

それは、わかっていた。

 

けれど、教祖は

ひどく独善的で

あまりにも能力が高すぎた。

 

わたしは、もう疲れた。

もうついていけない、そう思った。

 

教義の本当の教えは

それそれの人が、それぞれの幸せを見つけて

その幸せのために生きていくこと。

 

それが、真実でしょう?

真実だった は ず  で  しょ う。

 

さようなら。

わたしの幸せはここにはありませんでした。

みんなが向いている方ではなく、みんながいるところではなく

あっちの小さな光が差す方に。

 

そこに、わたしの幸せがあるんです。

 

 

そう言った途端

いままで笑顔で接してくれていた”彼ら”は

ぎょろりと怖い目を向けてきた。

 

 

馬鹿なやつだ。

何を言っているんだ。

教義にのっとって行動できない己の言い訳をしているにすぎない。

なぜ、教祖の言っていることは絶対だぞ。

教祖の言った通りにした人間は、奇跡の光を実現したぞ。

我らも奇跡の光を実現できるというのに。

 

 

ぼろぼろぼろ、と涙がこぼれた。

 

わたしは、奇跡などほしくはありません。

わたしの心の奥底があたたかく感じる光は、もっとそばにあるのです。

わたしの光は、この手のなかにすでにあります。

 

奇跡の光。

ほしくないと言えば噓にはなるけれど

けれど、けれどけれど。

 

そんなちっぽけな光がなんだというのだ。

もっと偉大な光がほしくはないのか。

おぬしもやはり、ほしいのではないか。ならばなぜ素直にならない。

厳しい修行に耐ええぬ軟弱ものだから、逃げ出すだけの腰抜けよ。

あやつは逃げるのよ。

哂え、わらえ嗤え。

 

 

ちがう、ちがうちがう。

真実が見えていないのは、あなたたちだ。

 

本当に求めているのは奇跡の光じゃない。

教祖の扇動におどらされて奇跡の光がほしいと思い込んでいるだけだ。

教祖はたしかに偉大な方だ。

奇跡の光を実現された。

けれど、みなが教祖と同じ道を歩まされるのはおかしいではないか。

 

みんながみんな、奇跡を求めているわけじゃない。

 

 

ばかな、馬鹿なやつだ。

軟弱ものだ。

何も見えていない愚か者だ。

教祖は、誰にでも奇跡の光が実現できると

そう伝道してくれているというのに。

その道筋を示してくれているというのに。

自らその道を踏み外そうというのか。

 

お前はきっと、死ぬときに後悔するぞ。

我らと同じ道を選ばなかったことを悔やんで死の淵で泣き叫ぶぞ。

ばか、やめておけ。

教義についてくることもできない軟弱者にはもうかまうな。

あいつは背徳の輩だ。

もう放っておけ。打ち捨てておけ。

 

 

ぼろぼろぼろ、と涙がこぼれた。

 

 

私は、私は間違っているのでしょうか。

主よ。私は――。

 

目の前にある、この小さな光のそばにいたいのです。

いつだって、私のそばで無償の笑顔を向けてくれたこの――。

 

 

マリアナ協会蔵書録

「アリア放浪記」背徳のルチア

『聖マリアナ協会 遺体安置所』とある……の嘆き

自分の存在に対して不信感があるから

誰かに愛されることによって

自分の存在を証明しようとしているのでしょう。

 

自分は誰か一人に必要とされている。

誰かの幸せになっている。求められている。

存在を受け容れられている。

 

そう思いたいがために

「この***なら自分のことを受け容れてくれるんじゃないか」

「ずっと寄り添ってくれるんじゃないか」

「自分のすべてを認めてくれるんじゃないか」

と常に選別の眼差しで異性を選り好んで。

 

けれど

「自分はこの世界に居場所がない」

「自分は誰からも必要とされていないんじゃないか」

「大勢の中に身を置いても孤独である虚しさは消えない」

という己に向けた不信感は

相手に向けられる刃となる。

 

「この***は本当は自分のことを受け容れていないんじゃないか」

「本当は馬鹿にしているんじゃないか」

「いつか、自分を捨てて見向きもしなくなってしまうんじゃないか」

 

そうだ。だから――。

 

――自分がこの***を切り捨てる立場にいるんだ。

支配する側の人間なんだ。

 

そう強がることで

存在の拠り所のない自分を保とうとしている。

 

他人のことを受け容れていないのは、いつだってあなただ。

他人を馬鹿にしているのは、本当はあなただ。

自分のすべてを認めていないのはあなただ。

いつだって他人を切り捨てるのはあなたで、逃げるのもあなただ。

 

 

いつだって、自分の存在を不安がっているのは、あなただ。

はじまりは、自分の存在を脅かすのは誰かだったかもしれない。

けれど、いまにいたっては

四六時中自分の存在を脅かし怯えているピエロになりさがっているのは

一体誰だっていうんだ。

 

そうやって、一生道化を演じて踊り狂っていけば良いんだ。

孤独をパートナーに死ぬまで踊っていけ。

 

存在の強さを示している

あなたの笑顔の中に

わずかばかりの幼い孤独を見つけて

憐れに思った。

 

それだけ。

 

たったそれだけのことが

わたしの孤独を強めていく。

 

それがわかるということが、誰にも理解されない。

周りにいる他の誰かには、その孤独はわからないのだ。

 

真実を見る目を持っていたって

良き理解者にはなりえなかった。

 

ただの観察者だ。

 

本当は救えたんじゃないか。

そう思ったって、救えるだけの強さを持っていなかった。

人を救えるだけ、自分のことを救いきれていなかった。

 

たった、それだけのことだった。

 

そう、だから。

 

他人のことを受け容れていないのは、いつだってわたしだった。

他人を馬鹿にしているのは、本当はわたしだった。

自分のすべてを認めていないのはわたしだ。

いつだって他人を切り捨てるのはわたしで、逃げるのもわたしだ。

 

 

わたしはいつだって、孤独の淵にいる。

孤独をパートナーに、一人の時間をなぐさめているのは

いつだってわたしの方だった。

 

それだけ。

 

たったそれだけのこと。

 

己のことを鍛え上げたって

数値で自分の有能さを示したって

誰かから承認されたって。

 

いつだって

いつだって

いつだって

 

わたしは

恐怖に震えていた。

不安で不安で仕方なかった。

 

 

誰に評価されたって

いつだってわたしはわたしの批判者になった。

 

 

いつだって、孤独の淵に立っていた。

 

手を差し伸べてくれる人がいても

信じきれなかった。

 

自分のことを、いつだって信じていなかった。

 

 

真実が見えるからなんだと言うんだ。

そんなの、いまのわたしを何一つ救ってくれやしない。

 

わたしの脳を焼き切っていく早さで

真実を突きつけてくるこの能力の無意味さ。

 

真実が見えれば見えるほど

理解されぬ孤独が首をしめていった。

 

 

誰か、誰か誰か、いないのか。

 

同じ景色が見える人間が。

 

 

宗教裁判にかけられて殺されないだけ

ましだとでも言いたいのか。

 

そうやって哂っているのか。

 

 

かなしいくらいに

わたしは道化(わら)っている。

 

真実を共有できず

嘲いの的として後ろ指をさされていることが

かなしいくらいに

わ た  し   は。

 

 

『聖マリアナ協会 遺体安置所』

――亡骸にすがりつく 聖ルチアの嘆き

『ユア・フォルマ』おもしろかった!!!

ライトノベル

好きな人も

そうでもない人も

こんにちは。

 

ええ天気やわ……とのほほんとしている管理人です。

 

ひさしぶりにライトノベルを読みまして。

その名も

『ユア・フォルマ』

 

電撃文庫から出ている本。

 

たまたまとある声優夫婦にはまり

それ系の動画を見ていたら

その声優夫婦が声をあてている小説紹介PVを見まして。

 

「なにこれ!? おもしろそう!!!」

 

と思い、買って読了。

 

電撃文庫だからライトでけっこう読みやすいのかな

と思っていたら

意外とぎゅっと凝縮してヘビーな読み応え。

 

パンデミックのこの世相や

情報社会のいまを反映していておもしろいなあ、と。

 

あと、心理セラピー的な面もあって

「おぉおおお!」

とのめり込む。

 

そして何より

主人公たちバディ二人の対比とかやりとりが

おもしろかった。

 

「ハロルドめっちゃいいやt……

ハロルド! どっちなんだハロルド!!!」

となる。

 

ラストのイラストつきのシーン。

にやにや。

すべてが報われたような多幸感。

 

作者さんのインタビュー記事があったので見たら

絶望ゲームとして有名な

ドラッグオンドラグーン」や

「ニーヤ」シリーズのことが触れられていて

「おぉおおお!」となる。

 

自分も

真正面から好きとは言えないけれど

でもやっぱり好きなものも多く詰まっていて

色々影響受けたゲームだから

なんとなくうれしい。

 

『ユア・フォルマ』

読んでよかった本。

 

では、また次回。

 

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