100分de名著「オルテガ 大衆の反逆」を読めば、日本の息苦しさが見えてくるかも(1)

周りと同じであることに

傷の舐め合いのような安心感を覚える人も

強迫観念のような息苦しさを感じる人も

こんにちは。

 

最近はもう

「めかぶ」「もずく」「納豆」かけご飯で生きていけんじゃないかな……

と思い始めている管理人です。

 

昨今

「日本人の同調圧力が強いのは近代教育の名残で……」

「明治時代につくられた教育がいまの残っているから……」

などなど色々耳にするようになったのですが

 

先月、突然思い立って買ったNHKテキスト100分de名著

オルテガ 大衆の反逆」を読んで

なんとなくその概要を知るに至りました。

 

思い出しながら書くので

ところどころ違うかもしれないですが。

 

 

タイトルにもあるとおり

この『大衆の反逆』は

「大衆」が軸になっている話で。

 

この「大衆」ってのはどんな人たちかって言うと

「ザ・同調圧力集団」みたいなもの。

 

自分と同じであるものを良しとし

ちょっとでも違う要素がある人間は

叩き潰して排除する性質を持っているそうで。

 

……どっかで聞いた覚えが……

身に覚えがある集団やな(笑)

 

 

じゃあ、どうやってこの大衆が生まれたかというと

産業革命がきっかけらしいんですね。

 

産業革命が起こって工場で働く人材が大量にほしくなった。

そこで出稼ぎで地方からも人がたくさんやってくるんですが

どうも思った通りに動かない(笑)

 

言うことを聞かずに統率が取れない集団は

扱いずらいわーってことで

労働環境側から教育環境に対して要請があったそうなんですね。

 

「工場で使える人材を育ててくれ」と。

 

工場側がほしかったのは

こういう人材↓

 

作業時間、休憩時間を一斉に管理されても文句を言わない。

上に立つ者から号令がかかれば一斉に言うことを聞く。

上のものに反論はせず、黙って言うことを聞く。

作業中は黙々と言われた通りの作業をする。

 

……これ、どっかで見覚えがある気が。

 

「起立! 気をつけ! 前へならえ! 礼!」

「授業開始のベルが鳴っただろうが! 早く座れ!」

「授業中に喋るな!」

 

 

……小学校、中学校、果ては高校まで

こんな感じではありませんでしたか?

 

最近は違う流れも生まれてきたけれど

多くの小学校、中学校、高校はまだまだこんな感じ。

 

こういった教育っていうのは

産業革命によって急激に発達した工場に

対応する人材づくりのためのシステムだったわけです。

 

だから昨今、声が上がり始めているわけですね。

 

「いまの教育は時代遅れだ」

「時代は変わっているのに近代教育の名残りをそのまま残してどうするんだ」

と。

 

昨今は

「自分の頭で考えて行動できる人材こそが必要だ!」

と言われ、求められているにも関わらず

学校教育自体は

「組織が共有しているルールに反抗せずに大人しく従う人材」

をつくろうとしているわけで。

 

学生の間まではずっと

「上の人間の言うことに大人しく従い

周りと同じ作業を黙々とこなし成果を出す」

姿が評価されてきたのに

いきなり社会人になってから

「自分の頭で考えて主体的に動け!」

って求められても土台鬼畜なわけです。

 

こんな感じで

「組織のルールには疑問を持たず、反抗せず」

「周りと同じ」である姿が推奨されるシステムの中で教育された結果

同調圧力が生まれてしまう。

 

「自分たちとはちょっと違う者」叩きが出てきてしまう。

 

 

……というのを読んで。

はあー、なるほどなあと。

 

教師に叱られたり周りから白い目で見られたりするのを恐れて

学校の中でひたすら目立たないように

自分を殺そうとする在り方は身に覚えがありますね。

 

自分は特別だ、と思いたがりながら

みんなと同じであることに安堵を覚えるというか。

 

いまの日本の教育システムっていうのは

完全に「自発性」や「個」を殺すシステムなのかな

というのはなんとなく感じます。

 

他にも「オルテガ 大衆の反逆」に

死者の目の話があっておもしろかったので

次はそれについて書こうかと思います。