「あなたは話せるようになって良いですよね」と不幸自慢コメをもらった

※ちょっと愚痴っぽくなるかもしれないのですみません

 

このブログではない別所で起こったこと。

自分が話せなかった過去とどうやったら話せるようになるか

を残しているネット上の空間にコメが来ていました。

 

(意訳ですが)

「あなたは話せるようになって良かったですね」

プラス自分の内面をつづる詩的な文章が。

 

さらに誘導リンクがあったので見てみたところ

ひたすら長いコメントが書かれていて

幼少期から現在までの

いかに自分が他の人よりも話せないのか

ということが延々と書かれていました。

 

それ見て思ったのは

不幸な状況から抜け出したいと言いながら

その状況に居続けたい人っているんだな、と。

 

本当に、アドラーのいうとおり

不幸な境遇に嘆いていながら

本当に達成したいことは達成している。

 

文章が長すぎて全部は読まずに流し見したのですが

文章からにじみ出ていたのは

 

“自分ってかわいそうでしょ?”

“自分って特別でしょ”

 

 

という意識。

 

喋れない・できない自分に酔っているんだろうな、という感じ。

 

力を示して他人の注意を引くことができないから

できないことを示すことによって自分の存在を示そうとしているんだな、と。

 

昔の自分もこうだったんだろうな、と思います。

「強がり」ではなく「弱がり」な人。

「弱がる」ことによって自分の存在を示す。

 

 

その方の文章を見ても

結局どうしたいの? という感想しか持てず。

 

本当に変わりたいんだったら

自分はどうなりたいのかって方向を決めて

這いながらでも苦しみながらでも立ち止まりながらでも

解決策を探していって実行するしかない。

 

「でも」

「自分は特別にできないから」

「そんな自分のことを誰もわかってくれない」

「自分以上に不幸な存在ってそうそういないでしょ?」

 

っていう意識で文章が埋め尽くされていた。

 

自分のことを特別だと思いたいんだろうな、と思います。

プラスにいけないから

マイナスに思い切り傾けることによって

達成しようとしている。

 

ちょっとコメもらったときは驚きました。

前に進もうとしている人間の足を引っ張ろうとする人間っているんだなと(笑)

 

たぶん本人に自覚はない。

ただ自分の不幸自慢をしたくて自分に注目してほしくて

仕方がないんだろうなあと。

 

 

自分の母親を彷彿とさせますねえ。

 

あの人のことを昔

「お前のかあちゃんはものすごいネガティブなんよ」

って言っていた人がいたのですが

 

いまならすごいわかる。

 

ものすごい引力ならぬ陰力が(笑)

ネガティブな気ですべてを吸収しつくす。

 

当時はそれが普通だと思っていたけれど

 

「でも」

「だから私はできないの」

「でもそれじゃできないでしょう」

 

などなど

 

できない理由ばかり探したり

自分の不幸をひたすら語るってネガティブよな(笑)

 

 

冒頭で話したコメント自体はスパム扱いされていて公開はされていなかった。

誘導リンクがあったからか

それとも誰かがスパム報告をしたのか。

 

なにはともあれ

公開しても見た人を憂鬱な気持ちにさせるだろうと思って

消してしまいました(笑)

 

コメント返しもよくないと思いコメ返もせず。

 

コメント返信をしてしまうと

「こういうネガティブ発信すれば人が注目・反応してくれる」

ってことでさらに助長してしまう可能性も考えられたので。

 

 

とりあえずコメ消して終了(笑)

 

 

**********

 

昔はこういうことがあれば

その人に自分を投影させて

ずっと憂鬱になったりしていたけれど

 

全然気にならなくなっていたので

強くなったな自分、と謎の感慨が(笑)

 

冷たくなったって表現もできるかもしれないけれど

 

アドラー心理学の『幸せになる勇気』を読んでから

だいぶ意識ががらっと変わりました。

 

「課題の分離」という考え。

 

その人が不幸なことはその人の課題。

それを解決するのもその人の課題。

自分が世話焼きするのは他人の課題に勝手に介入するということ。

 

 

人の痛みを自分のことのように感じたり

人の幸せを自分のことのように感じる

共感能力って大事ですけどもね。

 

 

昔の自分の感受性を基準に考えると

他人の不幸でかなり思い悩んだりずっと考える人って

「自分のことも気にかけてよね」って意識が強い気が。

 

自分が不幸なときに自分も気にかけてほしいから

他人にそれをやっている感が。

因果応報的なものを求めておるのかな。

 

まあ、ほかにも

元々ネガティブなものに反応しやすい個体だって要素もあるのかもしらん。